ルターと福音主義 Part3

キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに新しい記事が掲載されていたのでご紹介します。

今回はドイツ人神学教授、そして宗教改革の創始者マルティン・ルター(Martin Luther, 1483.11.10 – 1546.2.18)の「ルターと福音主義」の連載第3回目です。

どうぞご覧下さい。

下記はサイトより一部引用です。

                          

(三)「宗教改革の核心」

 

 Martin Luther3(1)「サクラメント」

 

次に、カトリックの秘蹟ひせき(サクラメント)とは、という問題に少しふれた後に、〝宗教改革〟の核心に迫っていこう。

 

秘蹟(サクラメント)とは、カトリック教会の用語であって、プロテスタント教会では「聖礼典」といわれ、説教とともに、教会の重要な機能とされている。すなわち、それはキリストの内的な見えない霊的恩恵を、外的な見える形で表現する〝しるし〟と考えられているのである。ローマ・カトリック教会では、洗礼、堅信、聖体、悔悛かいしゅん(告解)、終油(病者の塗油)、叙階、婚姻(結婚)の七つを「秘蹟」と定めている。

 

これに対して、プロテスタント教会では、洗礼と聖餐(聖体)だけを聖書にもとづく聖礼典としている。聖体とは、パンとぶどう酒の中にキリストが臨在していると理解されている(キリストの象徴か、臨在か、の議論があるが)。また、統一教会の合同結婚式の聖水と聖酒式がこれに対応している。

 

(2)「悔悛と贖宥状」

 

カトリック教会の七つの秘蹟の一つである「悔悛」(悔い改め)は、ルターが攻撃した「贖宥状しょくゆうじょう」と深く関わりがある。その悔悛の教義とは、すなわち次のごとくである。

 

「悔い改めはカトリック教会においては教会の定めたもっとも重要な『礼典』(サクラメント)として説かれていた。そこには次の三つの概念によって組織化された制度がたてられている。まず、『痛悔つうかい』(コントリティオ)と呼ばれる、自分が犯した罪に対する心からの悔悟が求められ、第二に『告解』(コンフェシオ)という、罪を衆人の前に告白することが行われ、かかる告白した人に司祭が赦罪しゃざい宣言を下すわけであるが、第三には、犯した罪に対して具体的に賠償をすべく善きわざが求められる。それが十分なる賠償をしなければならないことから『償罪しょうざい』(サティスファクティオ)と呼ばれた。かかる犯した罪を償うわざとして巡礼をしたり、断食をしたり、寄付をしたりするさまざまな規定が定められていた。

この規定は教会が定めた刑罰であって、当時のカトリック教会は地上の生活のみならず、死後の煉獄れんごくに対しても有効な規定を定めたのであった。『贖宥状』というのは、そのような教会が定めたもろもろの罪に対する罰を教会がキリストと諸聖人によって蓄積された徳の宝によって赦免する免罪証書であった。この贖宥状をめぐってルターの宗教改革の運動が胎動し始めるのである」(『宗教改革の精神』、金子晴勇著、中公新書、77-78頁)。

 

教皇レオ10世がサン・ピエトロ大聖堂の建築のための全贖宥を公示して、贖宥状購入者には全免償を与えることを布告したが、贖宥状問題の発生はアルブレヒト大司教がこのサン・ピエトロ大聖堂(聖ペテロ教会)を新築するためにドイツで贖宥状を発行し、その販売をドミニコ派の僧侶であるテッツェルにゆだねたことが契機となった。彼は巧みな弁舌で至るところで成功を収めていった。

 

ルターは、テッツェルが「そもそも、お金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、たましいは煉獄れんごくほのおの中から(救われ)飛び出してくるのだ」、「教皇の紋印もんじるしで飾られた十字架はキリストの十字架と同じ価値がある」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、22頁)と言っているのを知った。

それで、この際、自分が今までに確信した所信を公開し、討論するために、ヴィッテンベルク城教会の扉に「九十五ヵ条の提題」を貼り出したのである。時に、ルター34才であった。

 

ところで、いうまでもなくローマの聖ペテロ教会を新築することは悪ではなく善いことである。そのためのお金集めにドイツで贖宥状を発行すること自体は悪ではない。問題の本質はお金ではなく、当時のカトリックの教義と世俗化したヒエラルキー(階級制)にあったのである。

 

ちなみに、教皇レオ三世は、紀元800年に、チャールズ大帝を祝福して、金の王冠をかぶせた。彼がキリストのみ言を信奉し、キリスト教理想を実現していたならば、この時代に「信仰基台」と「実体基台」が形成され、「再臨されるメシヤのための基台」も、成就されるはずであった。

統一原理は、「法王を中心として立てられた霊的な王国と、国王を中心とした実体的な王国とが一つとなり、その基台の上にイエスが再び来られて、メシヤ王国をつくることができたはずである」(『原理講論』475-476頁)と述べている。

しかし、国王が神のみ旨を信奉し得ず、「実体基台」を立てることができずに「再臨されるメシヤのための基台」を造成することができなかったのである。

 

このように見て来ると、カトリックの体制そのものが問題なのではなく、宗教改革時代において、この世の権力機関と変わらない法王を中心とした封建的な階級制度が信仰生活の自由を拘束していたことが問題になったのである。つまり、中世封建時代の社会環境は、人間の創造本性を復帰する道を遮っていたのである。それゆえ、宗教改革はメシヤが降臨するための内外の環境復帰のために起こるべくして起こったのである。

 

また、贖宥状とお金の関係について、「お金が箱の中でチャリンと音を立てさえすれば、たましいは煉獄の焔の中から(救われ)飛び出してくる」というが、「霊のからだ」(霊人体)と「肉のからだ」(肉身)の関係、あるいは「霊形体、生命体、生霊体(発光体)の関係」(霊の成長と復活に関する霊界と地上界の関係)について、カトリックの教義は統一原理の「復活論」で説かれているように明解ではない。したがって、救い(たましいの復活)と贖宥状に対して疑念が生じるのである。

 

それでは、次にルターの「九十五ヵ条の提題」に対する批判と反批判を考察していこう。

 

                        

続きはコチラです。

 

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