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崔乘和
<2012 冬季 牧会者説教集 P.57~62>
神様が人間を創造される時、耳は二つ、口は一つで創造されました。二つである耳はいつも門が開かれています。恵まれた言葉をたくさん聞きなさいということです。一つである口は唇に守られ、歯の中に舌を隠しておきました。言葉を少ししなさいということです。人の言葉は、人生の方向を決めます。肯定的な言葉は、人生を肯定的な生の方向に導きます。否定的な言葉は、人生を否定的な生に導きます。自分が言うことが人格を形成し、人格が形成されたとおりに運命が決められます。
神様は人間にだけ言葉の特権を与えました。万物はアダムが言うとおりに名付けられました。親が子の名前をつける時、その子の一生の名前になって運命付けられます。
イスラエルの民たちが出エジプトしてカデシ・バルネアに至りました。ヨルダン川を渡れば、カナンの地、乳と蜜が流れる地、約束の地に入ります。入っていく前に、12支派のそれぞれの代表をカナン偵察に送りました。ヨシュアとカレブは信頼の報告、すなわち肯定の報告をしましたが、他の10人は不信の報告をしました。この時、不平を言うイスラエルの民たちに対して神様が言ったみ言が、きょう拝読した聖句です。「あなたの言葉が私の耳に聞こえたとおりにしよう」。神様が直接誓われた言葉です。言われる神様は、聞く神様です。言葉の特権は責任も伴います。言葉が信仰的な時、肯定的の時、祝福されます。しかし不信仰的、否定的な時は、責任を問い、審判もなさいます。
古今東西を問わず、言葉には呪いの力があると信じられてきました。悪のことを言えば、私の心が先に悪くなります。善のことを言えば、私の心が善良になります。汚いこと、怒りを言えば、私の心が汚れ、怒ります。先進国、福祉国家であるかは、その国のGNPではなく、国民の言語の水準で量られます。言語の美しい社会が先進国であり、元気な社会です。言語の荒れた社会は後進国であり、病んだ社会です。
リーダーたちの言語は希望的でなければなりません。真実さがなければなりません。一度言った言葉は守らなければなりません。信仰者は、どんな場合でも信仰的でなければなりません。食口には食口らしい言葉があります。私たちの言葉が、そのまま成されるからです。その言葉が祝福になったり、呪いになったりします。その言葉が祈祷になったり、成就したりします。信仰者には信仰者らしい言葉があります。
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