二〇二二年の神統一韓国安着に向かって大きく摂理の舵が切られています。
アダム国家として「神統一韓国」の安着を成し、人類の真の父母を迎えた中心国家の位相を確立したなら、次に問われるのは、エバ国家としての位相を整え、中心軸に真の父母様を迎えて侍る「神統一日本」の存在です。両国が、真の父母を中心とした父母国家として、その位相を確立していくためにも、今、神日本の針路が問われているのです。
父母国家の位相を確立していくためにも、韓国と日本の和合が喫緊の課題であることは言うまでもありませんが、〝迷路に迷い込んだ〟という感覚をぬぐえないのが現状です。特に、歴史問題における認識の相違や感情論に一歩踏み込むと、両国の間にある大きな溝に直面します。
真のお母様は語られます。「たとえ死の道を行くとしても出会うべきなのが、真の父母です。歴史をすべて失い、後孫をみな失うことになるとしても、真の父母に出会えば、歴史を取り戻し、未来も取り戻すことができます」(『人類の涙をぬぐう平和の母』323ページ)。
日韓の歴史問題に触れることは緊張感を伴います。人倫道徳の視点、国際法の視点などさまざまな論点がありますが、ここでは「神統一日本」を強調される真のお母様の心情を拝察しながら、神様の救援摂理から、日本が持つべき歴史認識について考えてみたいと思います。
天の摂理から見た日本の禍根
天の父母様(神様)はイエス様の不幸な十字架の道以降も、人類救済の手を緩めることなく二千年の蕩減の歳月を経て、アジアの一角にある朝鮮半島・韓民族を「選民」として立て、その基台の上で人類の真の父母として、天の独り子・独り娘を送ってくださいました。
日本は今日までの歴史の中で、太平洋に浮かぶ島国として、その生き延びる道を大陸に進路を定めながら生存を図ってきました。アジア諸国との連帯と平和を標榜して進出しながらも、多くが共存・共栄とは程遠く、侵略の刻印と歴史的禍根を残す結果となりました。その大陸の入り口に位置する朝鮮半島にも侵略の大きな爪痕を残し、今なお、その傷の痛みが続いているのです。友好を結ぶ一時もありましたが、多くの民に苦渋を強いた歴史を見逃すことはできません。
日本の歴代の為政者が、折に触れて謝罪の弁を述べてきたことは事実です。しかし、被害者の皆様の心がいまだ癒えていないことも事実なのです。今日の難しい日韓関係においても迷路に入り、行き詰まりの壁に直面しているのが現状です。
大陸に国家の活路を見いだそうとした日本は、結果として、天が定めた選民国家を侵略し、人々に屈辱を与え、さらに六千年を経て初めて迎えた人類の真の父母を直接的に苦難に追いやることになりました。天の救援摂理から見るとき、それは正に天に対する大きな過ちでした。
神日本は、その天に対する罪をまず自覚しなければなりません。天に対する罪であるのなら、赦しも天から頂かなければ永遠に解放されることはありません。
この摂理的な罪は、人間的な知恵や小手先の手段で超えられる罪ではありません。真のお母様が語られるように、きれいな包装紙で包んで片付けることはできません。日本が、天の父母様と真の父母様の心情に立ってこそ、真なる和解の道が見えてくるのです。そうしてこそ、真の父母様に侍る「神統一日本」が見えてくるでしょう。
天の「赦し」の中でこそ生きる日本
今、勝利された真の父母様がご存命であることが、私たちにとって、どれほど救いでしょうか? 天に対する罪を赦すことができるのは、天から送られた真の父母様のみであり、赦しの権能を持つのも真の父母様のみです。
父母にある選択肢は「赦す」ことしかないのです。それは加害者も被害者もご自分の子女だからです。真のお母様の自叙伝にこうあります。「刑場に出ていく息子を救うためなら、母親は国の法すら変えたいと思います。それが本然の父母の心です」(同、228ページ)。
また、一九九二年の東京ドームでの講演に臨まれたときのことを、「日本国民を孤児にしないため、徹底的に準備したのです。神様を知らず、孤児になっているということを、日本語ではっきりと伝えたのです」(同、182ページ)と語られています。
歴史に多くの禍根を残してきた日本は、それでも日本を赦し、愛し続けてこられた真の父母様と一つとなり、特に今は、地上で人類の母として摂理の峠を越えようとされる真のお母様の心情に立って、天に対する悔い改めの土台の上で、韓日和合の道を見いだしていかなければなりません。
人類の父母国家の顕現を待ち続ける世界の子女たちのために、「神統一日本」安着を目指してまいりましょう。
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