ルターと福音主義 Part2

キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに新しい記事が掲載されていたのでご紹介します。

今回はドイツ人神学教授、そして宗教改革の創始者マルティン・ルター(Martin Luther, 1483.11.10 – 1546.2.18)の「ルターと福音主義」の連載第2回目です。

どうぞご覧下さい。

下記はサイトより一部引用です。

 

                       

(二)「宗教改革の原理の確立」(霊と肉の葛藤の末)

 

次に、ルターの神学思想(信仰義認論)の形成過程について論述する。

 

Martin Luther2(1)「内面の葛藤」

 

ルターは、当初、エルフルト大学で法学を勉強していた。1505年7月、帰省していたマンスフェルトの自宅からエルフルトにもどる道の途中で「雷雨の体験」をする。その時、驚いて「聖アンナさま、お助けください。私は修道僧になります」(ルター著『卓上語録』)と叫んだ。

その後、親しい友人と決別して、7月17日、ルターはエルフルトのアウグスティヌス派修道院にはいった。

この修道院の戒律は厳しいことで有名であった。そこでの厳しい生活ぶりをルターは後に振り返って次のように告白している。

 

「『祈祷、断食、徹夜、耐寒』などによって、拷問の苦しみをなめた」(世界の名著18『ルター』、松田智雄編、中央公論社、18頁)

 

まさに、律法の「行い」に厳格なパウロが自身を称して「パリサイ派の中のパリサイ派」と言ったごとく、ルターも彼に劣らず厳しい「業」の実践を自己に負わせ、その修道生活は壮絶なものであった。

 

「私が敬虔な修道士であり、修道院の戒律を厳格に守ったことは本当である。およそ修道生活によって天国に入れる修道士があったならば、私も天国へゆけると思う。私を知った修道院の兄弟たちはだれでも、このことを証言してくれるだろう。」(『ルターと宗教改革』、成瀬治著、誠文堂新光社、69頁)

 

このように苦行したのは、カトリック教会の教えに従い、ルターが「業」(行い)によって神の義と救いを得て、魂の平安を勝ち取ることが出来ると信じていたからに他ならない。

 

(2)「予定の恐怖」

 

この時代(修道生活)のルターの内面の分析がある。それは、救いと予定に関するすさまじい内容である。

 

「神は神聖であり、完全に正義であるという。もしそうだとすれば、その神は、『わが命ずるところを行なえ』と人間に要求し、行なえなければこれを審判し罰する神である。彼はこの脅かす神への恐怖から逃れるために、修道の生活にはげんで完全になろうとし、また罰を免れようとしたのである。ところが、とぎすまされてゆく良心は、いよいよ彼を責め、神はいよいよ恐怖すべき神として映じたのであった。その悩みの時は長くつづいている。」(『ルター』、松田智雄編、中央公論社、18頁)

 

キリスト者が「完全」になるのは〝再臨の時〟であるが、その時でないのに「完全」になろうとしたルターの苦悩は、救われるか、救われないか、永遠の生命か、永遠の死か、という人生の栄枯盛衰が神の絶対的な「予定」によるという教義に触れると、一層深刻なものとなるのである。

 

罪を告白し、司祭によって赦免しゃめんされても、罪の意識は消えない。次の文章はそういうルターの絶望の心境を語っている。

 

「告解や赦罪しゃざいもなんら救いを保証しない幻覚であって、それは光が闇を駆逐くちくするように罪を駆逐してはくれないので罪は人間にとってどこまでも恐るべき、不断に活動する実在であり続ける。彼の過敏な良心の呵責は、いまや矛盾する苛酷かこくな要求をもって迫る神に対する懐疑と不安とに結びついていた。

このような彼の内面的挫折は『予定』の問題にぶつかりいよいよ深刻となった。神が永遠に滅びに定めたものたちにみずからも属するのではないかという予定の恐怖はルターにとって神に対する呪詛じゅそと憎悪にまで高じるのであった。すなわち自己の行為が自己追求によって毒されている罪人に善行を求めるのは無理である。不可能を要求して滅びに定めようとするさばきの神、報復の神はいかにしても許せない。『この思いにとらわれて、わたしはキリストと神とのなんであるかをまったく忘れ去り、神が悪者ではないかとさえ思う。予定ということを考えると我々は神を忘れ、讃美は止み、誹謗ひぼうが始まる』と苦衷くちゅう吐露とろする彼であった。」(人類の知的遺産26『ルター』、今井晋著、講談社、74-75頁)

神は、律法で裁き、福音でも裁く。この「神の義」を、ルターは憎むまでに至ったのである。

 

(3)「十字架の救い」

 

ルターは、長い苦悩の後に「塔の体験」を通して救いへの確かな希望を見出す。

それは、先に指摘した「神の義」に対する執拗な懐疑を超克するものであり、ヴィッテンベルクの「塔の一室」での出来事であった。それは、救いは「行い」によるのではなく、キリストを信じる「信仰」によって義とされるという「新しい義」の発見であった。その時のルターの心境の変化に関して、次のように述べられている。

 

「要するに『神の義』とは罪人をあくまでも罰し審く神の性質としての『能動的義』を意味するのでなく、無償の贈物として罪人に与えられる義、罪人を罪あるままに義とする恵みとしての『受動的義』であるとの神の義に対する認識の転換がはかられた。……つぐないのわざではかちとることが不確かな、それゆえに、ルターにとって憎しみといきどおりとつぶやきの対象でしかなかった『神の義』が、パウロを導師として、パウロの聖句を媒介に、いまや賜物としての義、最愛の対象となる『神の義』に変貌へんぼうしたのである。久しく求めて悩み続けた『救いの確かさ』の根拠が我々の外、神の内に発見された。それはまた、ルターにとってまさに天国の門を意味したのである。」(『ルター』、今井晋著、講談社、83頁)

 

このように「能動的義」から「受動的義」(新たな義の理解)へと発想の転換がなされ、宗教改革の基本的原理が確立されていくのである。

 

ルターと同様に、生・死をかけて祈祷、断食、徹夜などの苦行をし、善い業に励んだ人や、あるいは霊と肉の分離による対立や葛藤を内的に体験し、罪と戦った信仰者であればあるほど、「信仰によって義とされる」(他力、自分の外)という神の言葉にふれる時、深く霊的に感動させられるにちがいない。

求めもせず、祈りもせず、探しもしない者に、ただ信じるというだけで、そのような霊的な恵みの感動を得ることはないであろう。このルターの心境の変化による「新しい義」の発見の喜びは、新約時代の「イエス・キリストの路程」(個人路程)と成約時代の「家庭路程」を、再臨主と共に世界的に歩む統一教会の信徒らこそが、一番よく理解し得るのではないだろうか。

 

現在から原理的に見て言えることであるが、救いには、初臨の霊的救いから、再臨の霊・肉完全な救い(完全な神の愛の認識)への道がある。

しかしルターの教説は、初臨の霊的救のみであり、再臨による完全な救いは欠けているように思われる。

 

・ルターと福音主義 Part 1

                        

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