ブルンナー「出会いの神学」Part10

キリスト教の教えに対する統一原理の見解サイトに新しい記事が掲載されていたのでご紹介します。

今回はスイス出身で、プロテスタントの神学者ブルンナー(Emil Brunner, 1889.12.23 – 1966.4.6)の「出会いの神学」の連載10回目です。

ご覧下さい。

下記はサイトより一部引用です。

                       

Emil Brunner1C)「ブルンナーとカルヴァン」に関するバルトの主張

 

次は、カルヴァンの〝自然神学〟についての、解釈の相違に関する問題である。

バルトは、まず例のごとく、バルト式にブルンナーのカルヴァンに対する理解をまとめ、それを批判するという形式をとる。

 

バルトは、「彼の自然神学は『すこぶる宗教改革的』であり(154頁)、『全くカルヴァンの思想に近い』(175頁)が、これとは逆にまたカルヴァンは少なくとも時折、神のかたちについての形式的側面に関するブルンナー自身の思想と『ほとんど全く』同じことを言っている(158頁)と、このように(彼自身は)考えている」(バルト著『ナイン!』213頁)と述べた後で、下記のごとく反論する。

 

(1)「天地万物からの神認識」 

 

カルヴァンの天地万物からの神認識について、バルトは次のような論陣を張る。

 

「カルヴァンが天地万物からする神認識とキリストの中での神認識との二つについて語ったということは真理である(例えば『綱要』1・2・1、ガリア信仰告白、1559年、第二項を比較せよ)。しかし彼は、彼が天地万物からする神認識について語った時、ブルンナーとは違って、ローマ書1・19以下、2・14以下、使徒行伝14・15以下、17・24以下においては、そのことについてそこで言われていることを、ただそれだけ語ったのである。カルヴァンは、天地万物からする神認識の中において、人間の中に残っていて、そして信仰の中で復興せしめられるような潜勢力を見出していない。すなわち、啓示に対する、またキリストの中での新生活に対する、結合点を見いだしていない。彼は、……聖書以外にさらに聖書を補う別な啓示の根源を、理性や歴史や自然の中に何とかして求め、そういうものに、少なくとも後から追加的に一つの独自の『何らかの仕方で』独立した法廷として発言せしめるという、そういうことであるが、カルヴァンはそういうことをしていない。」(『ナイン!』224-225頁)

 

上述のように、カルヴァンは天地万物からする〝神認識〟とキリストの中での〝神認識〟という二つの啓示を語ったことを、バルトは率直に認めた後で、それらの根拠としての聖書の聖句を上げて、ブルンナーとは違って「ただそれだけ語ったのである」と述べている。

 

これは、神学とは「自らにすでに与えられているもののあとを追う」追思考である(『バルト神学入門』エーバハルト・ブッシュ著、新教出版社、57頁)というバルト神学の追認である。

 

そして、バルトは「聖書以外にさらに聖書を補う別な啓示の根源を、理性や歴史や自然の中に何とかして求め、そういうものに、……発言せしめるという……カルヴァンはそういうことをしていない」と主張する。これは、カルヴァンの神学をバルト自身の神学に一致させんとする強弁である。カルヴァンが、諸学問を賜物と認めていることで、バルトの主張は崩壊する。

 

同じことであるが、また次のように述べている。

 

「彼(カルヴァン)は異教徒にもキリスト者にも聖書のほかに第二の啓示の根源を与えなかったこと、さらにまた、彼の神学は根本においては聖書注釈であって、そのほかにまた人間学とか歴史学とか自然哲学のようなものでもあったのではないこと、そういうことに対しては、異論をはさむことはできないであろう。」(『ナイン!』225頁)

 

このようにバルトは、カルヴァンは「聖書のほかに第二の啓示の根源を与えなかった」といい、「人間学とか歴史学とか自然哲学のようなもの」の中に啓示を認めていないというのである。

 

しかし、カルヴァンは、彼の主著『キリスト教綱要』で、次のように述べている。

 

「主が人間本性の中に、最高の善が失われたあともいくつかの恵みを残しておいたことを学ぶのである。」(『カルヴァン』久米あつみ著、講談社、45頁)

 

また、「『最高の善』すなわち神を知り、神との正しい関係に入る賜物は失われているが、この世の諸学に関する賜物は人間の中に残されている」(同、45頁)と。

 

このようにカルヴァンは、堕落後も、人間の中に「主は……いくつかの恵みを残しておいた」といい、諸学を賜物と考えている。

言い換えると、カルヴァンは諸学問、すなわち「人間学」や「歴史学」や「自然哲学」を賜物と言っているのである。

 

ちなみに、ティリッヒは「真の啓示の超自然主義的歪曲わいきょくに対する戦いにおいて、科学、心理学、歴史学は神学の味方である」(『組織神学』第1巻、147頁)と述べている。

                     

上記の記事の続きは、コチラでご覧下さい。

 

今までのブルンナー「出会いの神学」記事は以下でご覧下さい。

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