文孝進様の説教「人生の中心」

統一教会公式説教ブログに「人生の中心」という題目で孝進様の説教が掲載されています。

下記はブログより一部引用です。

ご覧ください。

 

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文孝進
 <中和新聞2006年4月1日号 4面>

2006年2月19日 ニューヨーク ベルベディア

自分で選択できない誕生と死
 きょうの主題は、「人生の中心」という内容です。

 私たちが生きる中で、選択権のない決定があるとすれば、それはおそらく誕生と死ではないかと思います。誕生と死が基本的に置かれており、その間に人生と呼ばれるものがあるのです。最近は、「自分は、科学も知っており、技術もあるので、生命もつくりだすことができる!」と言ったりします。「体外受精で赤ん坊を身ごもった」、「受精卵を培養して、実際に赤ん坊をつくった」などと言います。しかし、そこにも論争の余地があります。

 考えてみてください。そのような条件で生まれた赤ん坊は、お父さんもお母さんもなしに生まれるという選択権を持っていたのですか。赤ん坊になる過程を選択することができますか。

 死も同じです。自殺しようと思えばできるでしょう? 死ぬ瞬間を準備すればよいのです。自殺するのに妨害となるものをすべて処理して準備すればよいのです。そのようにできれば、死にたいと思う寂しい子供たちもいなくなるでしょう。年を取った人も同じです。社会的圧迫と差別から来る屈辱感のようなものから抜け出したいと思う人々は自殺を選びます。時間さえ決めれば、自分がいつ死ぬかを正確に知ることができます。それは、いつ死ぬかを、私たちは自分自身でコントロールできるという話です。そうであるにもかかわらず、そこには、私たちがコントロールできない何かがあります。

 面白いのは、この「人生」というものです。私たちは、人生をコントロールできると思っています。ところが、さまざまな面白いことが起こるのです。ある時はとても楽しくもあり、また、ある時は思いどおりにならないのが人生です。

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記事の続きは統一教会公式説教ブログをご覧ください。

 

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