み言の力を確信して歩みましょう
二〇二二年十一月二十七日、福岡家庭教会(福岡教区)に天の父母様聖会の方相逸・神日本大陸会長夫妻を迎えて、「福岡教区特別集会」が行われました。メッセージに立った方相逸・大陸会長は、宗教の中で、家庭連合が長男のような立場にあることを伝えたうえで、「人々を、人類の親なる神様と真の父母様のもとに導きましょう」と訴えました。(文責・編集部)
妻の隣がいちばん安心できる場所
皆さん、おはようございます。お会いできて本当にうれしいです。
毎日、マスメディアの報道を見ては、心を深く痛めているのではないかと思っていました。しかし、皆さんの、「傷ついてなんかいません。安心してください!」と訴えかけるような素晴らしい笑顔を見て、勇気と力が与えられました。
私は一九九八年四月二十四日に来日しました。そのとき、日本語は「あいうえお」さえ知りませんでした。最近も六番目の子供とこんなやり取りをしました。
「お父さんは、だいぶ日本語が上手になったけど、発音がまだちょっとおかしいよね。『たちつてと』を言ってみて」「そんなの簡単だよ。た、ち、ちゅ、て、と」「うーん。やっぱり変だね」
私は、韓国語でメッセージを語るのなら、誰にも負けない自信があります。しかし、大勢の日本人を前にして、日本語で話すのは、来日してから二十四年たった今でも、気後れしてしまいます。
日本で初めて赴任した教会でのことです。食口たちは、新しく来た牧会者に挨拶をしたくて、次から次に話しかけてくれました。しかし私は、言葉が通じないので、食口たちが虎のように思えて、恐ろしくてしかたがなかったのです。そんな私を守ってくれたのが、妻でした。
赤ちゃんは、お母さんの姿が見えなくなると、不安になって泣き出しますね。お母さんが、全力で自分のことを守ってくれることを分かっているからです。私にとって妻は、正にそのような存在でした。ひよこが、母鳥のあとをちょこちょことついていくように、私は、妻がトイレに立てば、ついていって出てくるのをじっと待っていました。妻の隣がいちばん安心できる場所であり、天国だったのです。
宗教の中の宗教、長男のような
立場に立っている家庭連合
尊敬してやまない〝旧統一教会〟の食口の皆さん。連日の報道で〝旧統一教会〟という呼び名が、世の中にすっかり定着しましたね。
私たちは、「家庭連合」です。これまで以上に家庭の重要性を強調していきます。そのためにも、皆さんの家庭が天国にならなければなりません。
真のお父様は、夫が妻を、妻が夫を見るとき、そこに神様が見えなければならないとおっしゃいました。親が子供を、子供が親を見るときも同じです。家族はいつも、お互いを通して神様に出会うのです。そのような家庭を全世界に拡大するために家庭連合は誕生しました。
ここにいる男性たちは、奥さんの顔を見て、鬼のように感じていませんか? 女性の皆さんは、旦那さんの顔を見て、やくざの親分のようだと思っていませんか?(笑い)もしそうだとすれば、理想家庭や理想世界はできませんね。どれだけ熱心にみ言を学んでも、家族で愛し合い、ために生き合って、神様と共なる生活を実践しない限り、み言は単なる理想で終わってしまいます。
家庭の大切さを訴える宗教は、家庭連合だけではありません。キリスト教、イスラーム、仏教、どんな宗教でも教えるでしょう。「人を殺しなさい」と教える宗教などありません。宗教は、人々を幸福に導くために存在するのです。
家庭連合は宗教の中の宗教、つまり長男のような立場に立っています。
皆さんの家庭に、三人の男の子がいれば、生まれた順に長男、次男、三男となりますね。皆さんは、長男だけを大切にしますか? そうではないでしょう。愛は上から下に流れるので、末っ子の三男が、いちばん愛されることが多いかもしれません。一方で、親や兄弟に対する責任は、長男が最も大きいでしょう。
家庭連合には、社会のあらゆる問題を解決すべき責任があります。にもかかわらず、社会から問題視されている現状が悔しくてなりません。
夫婦、親子が、お互いのために
百パーセント投入する
ここには、六十代、七十代の方が多くいるように見えます。
皆さん、日本には百歳を超える方が、九万人以上いるそうです。南太平洋には人口三万人以下の島嶼国があり、十万人だと大きいほうと言われます。そう考えると、日本の高齢者人口には驚かされるばかりです。そして、日本の百歳以上の方の約九割は女性だということです。
私の母は、韓国南部の順天という所で一人暮らしをしています。九十七歳になりました。
だいぶ前のことですが、母を訪ねた四月のある日、日ざしが暖かくて、家の前の道路の脇で、母と一緒に日なたぼっこをしていました。すると、身なりの汚いおじいさんが、私たちの方に向かって歩いてきました。よく見ると、私の友達のお父さんのようです。それで母に、「あれは◯◯のお父さんでしょう。昔はピシッとした決めた格好をしていたのに、どうしたんですか?」と尋ねると、母が、「奥さんが二年前に亡くなったんだよ。朝昼晩、できあいのものを食べて、ごみは捨てずに、そのまんま。服も着替えないんだ」と答えました。
それからしばらくして、きれいなおばあさんが歩いてきました。「あれは◯◯のお母さんでしょう?」「そうだよ」「何であんなに若く見えるの?」「旦那さんが二年前に亡くなったんだ」。夫の面倒を見なくてもよくなり、朝から晩まで、暇さえあれば化粧をしているそうです。
私の二人のお姉さんは嫁いでいき、二人のお兄さんは、交通事故で亡くなりました。弟が一人いて、実家から離れた所で暮らしています。
母は、「六人生んでも、私のそばには誰もいない……」と嘆きます。兄は二人共、四十九歳のときに事故に遭いました。母は、どれだけつらい思いをしたでしょうか。
本来なら、私が兄たちに代わって、母のそばにいなければならないのです。母から、「あなたは、生きてはいても、死んだのと同じだ」と言われたときは、心が張り裂けそうに痛みました。
それでも母は、私と電話をするたびに、「体に気をつけなさい。車には気をつけるんだよ」と言うのです。どれだけ月日がたっても、変わらずに子供の健康と安全を願う母です。私は、いくら長く信仰生活をしてきたといっても、子供を思う母の心情の深さには遠く及びません。親というのは本当に偉大です。
夫婦で元気に暮らし、美しく年老いていきたいものです。そのためには、お互いに尊敬し合わなければならないでしょう。そして、ために生き合うのです。夫は妻のために、妻は夫のために、親は子供のために、子供は親のために、百パーセント投入するのです。
日本人は、男性も女性も愛情表現をあまりしないようですね。米国人は、一日に何回も「アイ・ラブ・ユー」と言うといいます。家族に「愛しているよ」と語りかけるのにお金がかかりますか? かかりません。それなのに、お金では買えないほどの大きな喜びが返ってきます。男性の皆さん、帰ったら奥さんに、「愛しているよ。あなたがいてくれて、私は本当に幸せだ」と言ってみてください。おいしい食事が出てくるのは間違いありません。(笑い)
私は牧会者の集会で、「出勤するときには必ず、奥さんとハグをしてください」と、牧会者たちに伝えました。ここにいる牧会者の皆さんは実践していますか? ハグをしながら、「きょうも頑張ってくるよ」「体に気をつけてね。いってらっしゃい」。夫婦でこのような言葉を掛け合って一日を出発するのです。婦人代表の皆さんも、明日から必ず実践してください。
「ために生きる」「真の愛」という言葉をどれだけ語っても、『原理講論』を何回通読しても、愛する実践をしなければ意味がありません。子供たちは、親の姿をよく見ています。その純粋な目が審判するのです。「うちのお父さんとお母さんは、けんかをしない。いつもラブラブだ! 神様みたいだな」。そのように言われるようにしていきましょう。
何歳になっても、目標を決めて
チャレンジし続けることが大切
皆さんが、自分はまだ若くて、いろいろなことに挑戦できるのだと自覚するようになるお話をしてみようと思います。
韓国で、ある大学の総長が六十五歳のときに退任しました。今では韓国も、平均寿命が長くなっていますが、三、四十年前は、六十歳を超えたら村中でお祝いをするほどで、七十歳を超える人はあまりいませんでした。
その先生は、〝そろそろ霊界に行く年だし、これまで一生懸命に働いてきたのだから、あちこちを旅行しながら楽しく過ごそう〟と思ったそうです。そうして五年が過ぎると、ますます元気になっていました。それならもっと遊んで暮らそうと、日々を楽しく過ごすうちに九十歳になりました。友達はみな、亡くなっていました。
九十五歳になったとき、息子たちが親族一同を集めてホテルでお祝いをしてくれることになりました。
当日、その先生は終始、涙を流していたので、親族たちは、お祝いをしてもらって、うれしいのだろうと思っていました。最後に先生が挨拶をしました。
「退任したとき、私は、七十歳ぐらいで寿命が尽きるだろうと思っていました。それで遊んでばかりいたのです。もし、九十五歳まで元気にいられると分かっていたら、こんなに時間を無駄にしませんでした。私は、最悪な人生を送ってしまいました。悔しいです。総長だったとき、英語ができなくて嫌な思いをしたので、英語を学べばよかった……。
私はここで、皆さんに決意表明をします。これから英語をマスターします!」
五年後、百歳になった先生を祝うため、前回の倍以上の人が集まりました。挨拶に立った先生は、「レディース・アンド・ジェントルメン」と話し始め、五分間のスピーチを流暢な英語で行ったのです。そして、今度はドイツ語を勉強すると宣言しました。
百三歳になって、いよいよ霊界に旅立とうというとき、病院で、家族にこのように語ったそうです。「もう人生に悔いはない。九十五歳まで無駄に過ごしたけれど、それからの八年間は、最高にうれしい日々だった。あなたたちは一日一日を大切にするんだよ」。
皆さんには、まだまだ時間が残されています。何か目標を決めてチャレンジしてください。もうすぐ八十歳になられる真のお母様は、神統一韓国の実現という目標に向かって、今なお、先頭を切って歩んでいらっしゃいます。そして、二〇二七年までに神統一世界を成し遂げるという目標を掲げておられるのです。
民主主義が共産主義に侵され、
行き過ぎた個人主義が蔓延する
以前は、現場から上がってくる証しをまとめて手紙を書き、真のお母様にご報告することが、うれしくてたまりませんでした。お母様も、日本の食口たちの証しに力を得ていらっしゃったと思います。しかし、この五か月は、手紙を書くのがつらくてしかたがないのです。書き終わる頃には倒れ込みそうになるぐらい疲れます。何とか力を振り絞り、決意を込めて、「マスメディアからどれだけたたかれたとしても、日本の食口たちはびくともしません。お母様と共にある私たちには、恐れるものは何もありません。地区会長、教区長、教会長、婦人代表が、現場で先頭に立って頑張っていますから、ご安心ください」と記すのです。
皆さん。宗教は、楽に信仰生活をするところが発展しますか? 違います。キリスト教は、ローマ帝国から厳しい迫害、弾圧を受けながらも国教となり、さらに、その版図を世界に広げていきました。日本において、今、最も迫害を受けている宗教団体はどこですか?(「家庭連合です」)それなら、私たちが発展することは間違いありません。
真のお父様は、興南の収容所、ソウルの西大門刑務所、米国のダンベリー刑務所など、六度の牢獄を通過されました。そのたびに神様が恵みを施され、教会は発展してきたのです。
真のお父様は、無実の身でありながら、ダンベリー刑務所に入っていかれました。そのとき、米国の食口たちに、「私のために泣かないで、米国のために祈ってください」と訴えられました。米国は、神様の祝福を受けて建国されたにもかかわらず、その願いからどんどん離れた方向に向かっていました。お父様は、左傾化していく米国を守るために、「ワシントン・タイムズ」を創刊するなど、あらゆる手を尽くされ、米国のために大きな貢献をされたのです。それまで、米国の民主主義は共産主義に侵され、国中に個人主義が蔓延するようになっていました。
共産主義には、神様の存在を否定するという問題がありますが、真のお父様は、共産主義と同じくらい、個人主義は問題が大きいとおっしゃいました。米国は、自国のことだけを考えるようになっていったのです。
人類の親なる神様のことを証しし、人のため、国のため、世界のために生きることを指導してこられた真の父母様のどこに、人々から非難を受ける余地があるのでしょうか。昨今のマスメディアは、共産主義に支配され、行き過ぎた個人主義を助長しているとしか思えません。
神様を愛した足跡は決して消えない
一六二〇年、英国の清教徒たちが信仰の自由を求め、彼らを含む百二人が、メイフラワー号に乗って北米大陸に渡りました。九月にプリマスをたち、到着していかりを下ろしたのは、十一月下旬に差しかかった頃です。
冬の間、船内で過ごした彼らは、飢えや寒さで半数近くが亡くなったそうです。そのような厳しい環境で、彼らはために生き合い、最初に建てようとしたのが教会でした。そして、国の未来を担う子女を教育するための学校を造ってから、自分たちが住む家を建てようとしたのです。
真の父母様が私たちに教えてくださった「愛天・愛人・愛国」の精神を実践していたのです。
米国の歴史は建国以来、二百数十年です。日本の歴史と比べたら、どれほど短いでしょうか。にもかかわらず、経済や軍事など、あらゆる面で世界一の国になりました。
皆さんは、エンパイア・ステート・ビルディングをご存じでしょう。ニューヨークにある、米国を象徴する建物です。それは、メイフラワー号に乗って海を渡り、建国の礎を築いた彼らの偉業を称えて、百二階にしたと言われています。神様を求め、愛した足跡は、歴史から決して消え去りません。
日本家庭連合は今、冬の季節を通過しています。マスメディアから総攻撃され、心無い言葉も投げかけられます。それらは、私たちの成長のために必要なことなのです。真摯に受け止め、私たちの至らなかった点があれば見直して、教会改革を果敢に推し進めましょう。
真のお母様の大きな願いの中、二世の教区長二十人が立ちました。彼らのうち、教会長経験者は十三人です。それ以外の七人は、教会長を飛び越して教区長になりました。そのプレッシャーがどれほど大きいでしょうか。それでも、彼らは受け止めてくれました。
私は、彼らを見るたびに希望が湧いてきます。講義をするようすも見ましたが、知的にも、心情的にも理解しやすい講義で、天が大きな期待を寄せていらっしゃることがよく分かります。
真の父母様の願いを自ら悟り、
かなえてさしあげる者に
真のお母様がお電話で、日本の食口に対して、本当にありがたく思っていると伝えてほしいとおっしゃったことがあります。世間の風当たりが強くても、「お母様にご心配をかけないように頑張ります!」と、決意の祈りを捧げて歩んでいる皆さんのことを、よくご存じなのです。お母様は、愛する子女たちが置かれている状況を思いながら、眠れない夜を過ごしていらっしゃいます。
以前に、四人の息子と回転ずしを食べにいった話をしました。皆さんの中にも、聞いたことのある人がいるかもしれません。
私は、どれも一皿百円だと思っていたので、息子たちに、「おなかいっぱい食べていいからね」と促しました。外食にめったに行ったことのない息子たちは、「すしって、こんなにおいしいんだ!」と、うれしそうに食べていました。
ところが、その店は皿の種類によって、値段が百円から五百円まで段階があったのです。長男(当時中学3年)は、店に入ってすぐに気づき、一人だけ百円の皿のすしを食べ続けていました。親の事情を心配し、「百円の皿のも、おいしいよ」と、笑顔を見せてくれる長男を見て、私は、こんなにもりっぱに成長したのかと感動して涙があふれました。
世界には数え切れないほどの宗教団体があります。それらは次男、三男、四男の立場であり、家庭連合は長男のような宗教団体だと思います。ですから、天から「これをしなさい、あれをしなさい」と言われる前に、長男としてその願いを悟って行動しないといけないでしょう。
私の長男は、八月に千葉の二十一日修錬会に参加しました。それ以前には、教会には六か月に一回ぐらいしか行っていませんでした。人柄は良いのですが、教会のことにはほとんど興味を持てなかったのです。そんな息子が修錬会を終えて帰ってくると、「お父さん、二十一日修に参加させてくれて本当にありがとう。み言って〝やばい〟ね。真の父母様は素晴らしいし、このみ言がなければ、自分たちに価値はないね」と言うのです。
私は長男に、「時間がたつと、受けた恩恵を忘れてしまうよ。だから今のうちに、あなたの友達、二、三人に、二十一日修の素晴らしさを伝えてあげて」と頼みました。長男はその日以来、友達に紹介し続け、今月、三人が参加しました。私は長男に、「三人でとどまらないで、四十人を目指してよ」とハッパをかけました。
長男は、百日にならない間に、友達や知人四十人と、二十一日修錬会に参加する約束をしました。(拍手)十二月は七人、来年一月も七人参加する予定です。私が、「百人に挑戦しよう!」と言うと、長男は、「えーっ」と驚きながらも、まんざらでもなさそうでした。み言に感動して心霊が復興したら、そのように力が湧いてくるのです。
皆さんも、み言の力を信じてください。全国で四十日間の原理特別修練会が行われているので、毎日、「原理」のみ言に触れて、神霊と真理によって恩恵を受けていきましょう。
福岡の「福」の意味は、言わなくても大丈夫ですね。「岡」には、「小高くなった土地」という意味があります。さらに細かく見ていくと、山の象形と網の象形の二つから成り立っています。
皆さんは、魚をとる方法の一つ、「投網」をご存じですか? 重りのついた網を、空中で広がるようにして投げて魚をとるのです。皆さんがみ言の網を放つことで、たくさんの人が、人類の親なる神様と真の父母様のもとに導かれてくることを確信しましょう。
福岡の地から伝道の機運を高め、日本全国を盛り上げていきましょう。
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