道元禅師のことば (2) 【正法眼蔵随聞記】より

日本語

正法眼蔵随聞記 第六巻十五より

(道元禅師は) こう語られた。

修行する者の心得は普通の人とは異なるところがある。

昔、健仁寺の僧正がまだ生きておられた時、食べ物が無く寺中、絶食しなければならない時があった。

その折、1人の檀家さんが僧正を招いて絹一疋を差し上げた。

僧正は大変喜んで、お付きの者にも持たさず、自分の懐に入れて寺に持ち帰り、寺の庶務を司どる僧に渡して、『これをお金に変えてあす朝の粥を作りなさい』と言った。

またその時、ある俗世の人が僧正を訪れて

『恥ずかしながら、どうしても絹二三疋が入用になりました。少しでもよいので、あれば頂けませんか』と願ったという。

僧正はそれを聞くと直ちに、先ほどの絹を係の僧から取返してこの人に与えた。

これには寺中の僧たちも不審に思った。

あとで僧正が皆に言うには

『皆は私のしたことが道理に合わないことと思っているだろう。しかし、私が思うに、皆、僧侶は仏の道を志して集まった者たちだ。たとえその道程で絶食し、餓死したとしても本望だろう。しかしこの世で暮らす人が世の中でうける苦悩を助けてあげることは、われわれ僧侶にとっても大変な益ではないか』

真の修行者の思いはこのようなものだ。

 

示して云く、道者の用心は常の人と異なるところあり。 故健仁寺の僧正在世の時に、寺中絶食することありき。時に1人の檀那、僧正を請じて絹一疋を施す。 僧正歓喜して人にももたしめず、自ら取って懐中して寺に帰て知事に与へて云く、明旦の浄粥等に作すべしと。然るに有る俗人の所より所望して云く、 愧がましき事有て絹二三疋入用あり、少々にてもあらば給はるべき由を申す。僧正即ちさきつかたの絹を取返してすなはちこれを与ふ。 時に知事の僧も衆僧も思の外に不審するなり。 後に僧正云く、各は僻事とこそ思はるらん。然れども吾が思はくは、衆僧は面々仏道の志し有て集れり。一日絶食して餓死するとも苦しべからず。世に交れる人のさしあたりて事欠る苦悩を扶けたらんは、各の為にも利益すぐれたるべしと云へり。まことに道者の案じ入たることかくの如し。

正法眼蔵随聞記(岩波書店)和辻哲郎校訂より

道元(どうげん)1200年1月19日 – 1253年9月22日は、鎌倉時代初期の禅僧。

日本における曹洞宗の開祖。晩年に希玄という異称も用いた。同宗旨では高祖と尊称される。諡号は、仏性伝東国師、承陽大師。一般には道元禅師と呼ばれる。徒(いたずら)に見性を追い求めず、座禅している姿そのものが仏であり、修行の中に悟りがあるという修証一等、只管打坐の禅を伝えた。『正法眼蔵』は、和辻哲郎、ハイデッガーなど西洋哲学の研究家からも注目を集めた。wikipediaより

コメント

タイトルとURLをコピーしました