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(四)「十字架の贖罪」
アルベルト・シュヴァイツァーは、「十字架を人類の罪の贖いとして受け取ることを拒否し」(注①)、「人が自己犠牲と苦難において自らの使命を遂行するときにこそ、共に生きているイエスを体験できる」(注②)と人間の責任分担論を語り、彼はパウロの思想をルターのごとく信仰義認論(行いによるのではなく信仰によって義とされる)と捉えることに批判的で、「キリスト神秘主義」の視点からイエス・キリストを解明していったのである。
すなわち、「パウロはイエスを主体的に主なるキリストとして受けとめ、このキリストと神秘的に合一する体験こそがイエスを真に理解することだと考えた。」(注③)と言うのである。
このようにシュヴァイツァーは「自己犠牲」による「自らの使命」の遂行(「行い」)によってキリストと合一し得ると言う。合一とは、イエスが自己の内に「共に生きている」という意味である。
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