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文鮮明先生の釣りは「祈りの投入」

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 『グラフ新天地』(2000年6月号)に掲載された神山威先生(日本統一教会第2代会長)による証しをご紹介します。 

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 文(鮮明)先生の釣りについて、一番印象に残っていることは、メキシコ湾において100マイル(約160km)ほど船で沖に出た時のことです。嵐が来ることが分かっているのに、その前日に出港しました。「お父様(文先生)、嵐が来るから今回は出れません」と申し上げても「(それでも)行くんだ」と言われます。

 

 それは魚を捕るのが目的ではなくて、「思いの投入、祈りの投入をする」ために海に行かれるのです。祈られる場所が海なのです。嵐の中で大変でしたけれど、そのような中でお父様は祈られました。お父様の釣りの目的は、もちろん魚を捕ることもありますが、そのような環境で祈られることです。

 

 また釣りをされる前に必ず条件を立てられます。それは何かというと、「今日は何の魚を何匹捕る」と目標を決められることです。そして、どんなことがあってもその目標を達成しようとされます。出発する時に「今日はこれだけやる」と神様に約束したことを果たされていくお父様の激しい性格、激しい歩みを、私はこの目で見てきました。神様と約束した目標を果たしていく生活をされ、その目標と結果が一致したとき、蕩減条件として天が覚えてくださいます。お父様にとって、条件を立てる場、祈りの場、投入の場、それが海であるということです。

 

 またお父様の釣りは、魚を一生懸命呼んでいるという感じがします。魚を追いかけるのではなくて、魚を引き付けるということです。あるとき、「神山、おまえは魚を追いかけていっている。先生はそうじゃないよ。魚を引き付けるんだ」と言われたことがあります。祈りながら、「魚よ来い。来い。来い」と引き付けているのです。私たちは釣れないとすぐに移動して魚を追いかけていきますが、お父様の釣りは魚を待っています。来なければ来るように念の力を入れて引っ張るのです。だからお父様はたくさん捕られます。「魚を引き付ける。じっとして待つ。時が来るのを待たなきゃいけない。君はそれを待てない。すぐに移動してすぐに追いかける。先生と違う」と言われます。 

(中略) 

 

 すべてを良くとらえて、より良く考えていかれるお父様。波に対してもそれを否定的にとらえるのではなく「良し」とされます。そういうお父様を発見しました。大自然とご自身を一つにさせていく姿。私たち凡人は波が立てばイヤだと思い、それに対して抵抗しますが、お父様は抵抗されるのではなく、なじんでいかれます

 

 また釣りに行ってみ言を語られる時もありますが、集中している時はだれも近づけません。常に何かを瞑想しておられるお父様です。お父様の釣りはこの世の人の釣りとは違います。釣りを通して自然と一つになっていかれ、未来を見つめておられます。 

(『グラフ新天地』2000年6月号より)

 

久保木修己・日本統一教会初代会長が文先生との釣りについて語られた説教映像 (1990年10月2日・24分)

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