●JAXAの人たちが名づけた「はやぶさ」の部品にも神様が働く-「天地人」「父母」
JAXAの研究者・技術者の人たちは、「はやぶさ」をわが子のように思って、宇宙に送り出した。それは映画の中でも、書籍の中でも紹介されている。
そんな中、「はやぶさ」が2005年にイトカワにタッチダウンするときの目印として使ったソフトボール大のものがターゲットマーカーである。このターゲットマーカーをはやぶさは3つ持っていったという。1つは、イトカワ着陸前に試験的に惑星空間に放出した。そしてもう1つをイトカワに着地させた。このマーカーには、打ち上げ前に公募した88万人の人たちの署名が記録されたプレートが組み込まれている。そして最後の1つは、予備としてはやぶさが地球に帰還するときまで、ずっと持っていた。
そこでJAXAの先生たちは、粋なはからいをして、このターゲットマーカーに命名したという話が、はやぶさが帰還する4年前に発刊された『はやぶさ 不死身の探査機と宇宙研の物語』(幻冬舎新書・吉田武著)の中でふれられている。最初の1つは宇宙空間に放出したから「天」、イトカワに着地した1つはたくさんの人々の名前が載っているから「人」、地球に帰るまで持ち帰った最後の1つが「地」と名づけられたという。この年、後に大河ドラマの原作となる小説の「天地人」が話題を呼んだこともあり、それに影響を受けての命名だが、教会の信徒にとっては、「天地人」という名前は、特別な意味を持つ。そう、文鮮明先生ご夫妻の呼称である「天地人父母様」の「天地人」である。
ところで、さすがに「父母」はないだろうと思っていた。しかし、はやぶさが帰還した後に、偉業がさまざまな報道機関で伝えられ、まさかそんなことがと、耳を疑うようなエピソードが新聞で伝えられていた。
帰還が目前となった2009年暮れ、4つあるイオンエンジン全部が故障したため、苦肉の策として、2つのエンジンのうち、部品の状態のよいものをつなぎ合わせ、1つのエンジンとして働くようにしたアクロバット的な裏技が使われた。とても有名なエピソードだ。これによって、何とか帰還のめどがついたことも知られている。
実は、2003年の打ち上げ前に、イオンエンジンの技術責任者が、4つあるエンジンに、自分(夫)と妻、息子と娘の名前を秘かに付けて呼んでいたというのだ。部品に秘かに名前を付けるなんてことは、報告の義務もないので、回りの誰もそんなことは知らなかったという。ところが、最後の最後に、2つのエンジン部品を1つのエンジンとして働かせるようになったのは、夫と妻、言い換えれば「父」と「母」のエンジンだった。最後には、夫婦が一体、父母が一体となって帰還を果たしたというエピソードだ。(中日新聞・2010年6月14日の記事より)。
夫婦は父母でもある。つまり「父母」もしっかりあったのだ。「はやぶさ」には、何と「天地人」も「父母」もあった。この話を見たときには、感動でふるえが止まらなかった。
●地球に返すカプセルを切り離したのは「出産」、そして母親としての「はやぶさ」の犠牲
JAXAの先生たちが何気なく命名されていく内容に、神様が働いたことはとても多い。
「はやぶさ」が地球へ帰還するときに、その本体が大気圏突入時に燃え尽きてしまい、イトカワの粒子が入ったカプセルを切り離して、地球に送り届けた。そのシーンは、神々しいまでの光を放ちながら、特大の流れ星となって、多くの人たちの感動を呼んだ。
その姿は、自分の子であるカプセルを送り届けるために、身をていして犠牲になった親の姿に見えた。もちろん、それだけで美しい感動話なのだが、「はやぶさ」のプロジェクトリーダー川口先生は、帰還したカプセルの前に立ち、カプセルの切り離しを「出産」にたとえて何度も説明した。実際にカプセルとはやぶさ本体との間には、「へその緒」にあたるケーブルがあり、それを焼き切ってから、切り離したのだという。「出産」というからには、「はやぶさ」はその瞬間には母親だったことになる。
こんな話を聞くと、信徒ならば2007年を思い出すのではないだろうか。「母国(ははぐに)の出産」=「解産(ヘーサン)」である。
母親は、自分の身を犠牲にして、「命」の入ったカプセルであるわが子を送り届けたのだ。カプセルは、次世代への象徴であり、砂漠で死に絶えた一世ではなく、カナンの地に入っていく二世の象徴でもあったのだと思う。
世の中の人たちも、はやぶさが燃え尽きたことを見て、自らを犠牲にする姿と重ね合わせた人は多かった。一方で、JAXAの若手研究者の中には、こんな粋な表現をする人もいた。はやぶさは決して“死んだ”わけでなく、地球に帰ってきて、地球の大気に溶け込んだのだ、だから塵や大気となって、私たちの身の回りにあり、私たちにふれているのだ、だから私たちの心に「はやぶさ」は生きている、というのだ。このような話を聞くと、まさしく肉身を脱いで「永生」する「昇華」(「聖和」)につながる世界ではないだろうか。
●地獄へ突き落とされていた46日間はサタン分立の摂理数
イトカワに二回目の着陸を果たして離陸した後、はやぶさとの通信が1カ月半もの長い間、途絶した。音信不通だったときである。燃料漏れが発生したはやぶさの姿勢がくずれ、通信できなかったためであるが、あきらめずにはやぶさを見つけだそうとしたスタッフの努力によって、46日ぶりに見つかった。
JAXAの人たちはこのときのことを「地獄へ突き落とされた」と表現している。まさに、人間が堕落したとき、神様は地獄へ突き落とされ、悲嘆にくれたときと、かぶさる。神様が必死に救いの手をさしのべた結果、わが子がようやく見つかり、堕落して暗黒の世界にいた人間が、自分の元に戻り始める歩みをしだした。
46日間という数字については、サタン分立数の40数を満たし、50数を超えないところで救われたことで、大きな意味を持つと思われる。これも、悪主権下から救い出される必要な期間であり、摂理数だと思う。
何より、一回行方不明になってしまった宇宙探査機が見つかる例など、まずないそうだ。執念をもって、毎日毎日探し出したJAXAの人たちも、えらいけれど、救い出されるように神様が導き、し向けてくれたとしか思えない。そして救出後は地球への帰還へつながる。堕落して、地獄の底から、元いた創造本然の世界へ帰っていく路程の始まりに思えるのだ。
●堕落して以来、初めて自分の元に帰ってくるわが子を切なく、心待ちに待つ神様の思い
神様にとって、人類が堕落して以来、わが子が自分の元に真に帰ってきたことは、これまでなかった。統一原理でふれられる復帰摂理歴史を見てもそうである。子である人間が初めて神様の元に帰ってくるのは、天暦(陰暦)2013年1月13日の基元節のときである。神様はそれまで、切ない思いで、ひたすら心待ちに待ち続けているし、これまでずっとそうしてきた。
一方で、世界中に起きている戦乱や紛争、そして母国・日本に起きた大震災をはじめとして、多くの苦難・困難に人々は遭遇している。そうした苦難が起きることがわかっているからこそ、神様はひたすら困難を乗り越えて帰り着く人類のゴールを待ち続けているのだ、と思う。
●人類が神様の元に帰っていく日=基元節を迎える前に、「はやぶさ」を待つ思いを味わい、神様の心情を知ろう
神様の心情があふれた「はやぶさ」の奇蹟に多くの人が涙した。それは、普通でない奇蹟だからこそであった。そこには、神様の強いメッセージと啓示が含まれ、神様の心情を味わいさせてくれる特別な奇蹟だからだと思う。
人類が神様の元に帰っていく日、その日はまさに基元節であるが、その日を迎える前に、「はやぶさ」が帰ってくるのを待ちわびる身に当てはめてみて、神様の心情を知ろうではないか。言葉ではとても言い表せない、神様の切実な思い、涙を流してもあまりある、はかりしれない真の愛の大きさをきっと実感できる。レビューされてくる映画を鑑賞してもよいし、本をひもとくのでもよい。はやぶさ帰還のドラマをふり返りながら、神様の言うに言われない奥深い心情を味わってほしいと思う。
(2011年1月21日記) (Kousuke Tanaka)
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