【マレーシア国会議員との平和の晩餐会】
主賓:YB Tan Sri Datuk Seri Panglima Pankikar Amin Bin Haji Mulia マレーシア国会下院議長
場所:首都クアラルンプール、Mandarin Oriental Hotelにて
日時:2011年6月19日
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YB Datuk Ronald Kiandee副議長、代表下院議長、マレーシア国会議員のみなさま、平和大使のみなさま、紳士淑女のみなさまへ、私の両親、文鮮明、韓鶴子また姉の文仁進に代わって、マレーシアという素晴らしい国にお招き頂き、今日こうして話す機会を与えてくださったことに心から感謝申し上げます。
私は長く、イスラム教徒が他宗教と調和を保っているイスラム教国家として、マレーシアを高く評価しておりました。この宗教間の和合は、マレーシア社会が高く評価される明確な根拠にもなっていますが、この宗教間の和合を強調していることで、世界にも広く知られる宗教指導者である、私の両親を今回招待してくださったのだと信じています。
昨年秋に、ナジブ・ラザク首相が国連に対する演説の中で、全ての宗教の“穏健派による地球規模の運動”で、宗教的過激派に立ち向かうことを訴えておられました。ちょうど先月、オックスフォード大学においても行われた大統領の演説は、まさに私の父の教えに沿ったものであり、世界中の宗教人から支持されるに値するものです。
私の父は、1920年に今の北朝鮮に誕生しました。彼はクリスチャンの家庭に育ち、15歳の時、霊的にイエス・キリストと出会います。公的な牧会を1945年からスタートし、91歳になる現在まで歩み続けています。私の父は、全ての宗教は、神から離れた結果陥った霊的無知から、人類を解放する使命がある、と教えています。宗教は、この使命を完遂するためにお互いに手を取り合う必要があると、父は教えているのです。
クリスチャンの観点から見れば、私の父はメシヤ、救世主、再臨のキリストです。しかし、彼はクリスチャンだけのために来るのではありません。また、他宗教を排斥し、クリスチャンの信仰を普及することが彼の使命だと考えているわけでもありません。
そうではなく、私の父は、全ての人々が神様の本質である真の愛を相続するためのパイプ役なのです。このパイプを通して、私たちは神様の真の息子、娘となります。私の父は、神様の真の愛は全ての宗教の伝統においても相続できるし、また相続されるべきであり、全ての宗教は神様をより深く理解することによって、統一と平和の理想を手にいれることができると教えています。
では、父の自叙伝から、宗教和合と平和への道についての智慧を学んでみることにしましょう。この自叙伝の原版は、2009年韓国で出版され、今や100万部を突破越える売れ行きです。日本語訳もまた、100万部以上の売れ行きです。今日は、自叙伝「平和を愛する世界人として」の英語版を読んでみようと思います。P.234〜p.244の章、「人を善に変える宗教の力」です。引用は時間の関係上短く編集していますので、完全版は本をご参照ください。
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1990年8月2日、イラクの大統領サダム・フセインは、クウェートを武力侵略しました。「中東の火薬庫」と呼ばれるペルシャ湾に戦争が勃発したのです。全世界が戦争の渦に巻き込まれて行くとき、私はキリスト教とイスラム教のリーダーがこの闘争を止めるために会わなければならないと結論づけました。わたしは、何の罪もない人々が命を失うこの戦争を止めるために、できることは全てやろうとすぐに行動しました。
同じ年の10月2日、私はエジプトのカイロで、世界宗教者緊急会議を招集しました。平和のための緊急メッセージを、中東とイスラム世界の霊的指導者達に伝えるためでした。何故、中東になんの関係もない人間が、そのような会合を招集するのだろうか、と多くの人が不思議がりました。しかし私にとって答えは単純でした。私は全ての宗教者は世界平和に貢献するべきだと信じているからです。キリスト教とイスラム教の間の争いは、民主主義と共産主義の間の紛争よりもたちが悪いのです。宗教戦争より恐ろしいものはないのです。
私は、既に紛争を抑えようとしていたジョージ・ブッシュ大統領に対して、アラブ世界との戦争を避けるように、そして外交手段を通してサダム・フセインを撤退する方向に働きかけるように懇願するメッセージを送りました。
私たちのカイロにおける緊急会議には、9カ国からイスラム教のリーダーや最高権威者が参加し、シリアやイエメンのイスラム教最高権威者も含まれていました。この会合で私は、アラブとイスラム世界に対して、サダム・フセインの「この戦争は聖戦である」という主張を支持しないように、と必死に懇願しました。
アメリカが勝とうが、イラクが勝とうが、何がいいことがあるでしょうか?
爆弾を浴びせて、家や野原や丘を崩し、貴い命が失われていくなら、何の価値があるでしょうか?
カイロ会議は、我々の沢山の平和活動の内の一つです。2011年9月11日、私たちは全員、ニューヨークの世界貿易センタービルがテロリストによって破壊された時、本当に恐怖を感じました。これは、イスラム教とキリスト教の間に必然的に起きる、文明の衝突だという人もいました。しかし、私の考えは違います。イスラム教もキリスト教も、最も純粋な形態においては、衝突と対立の宗教ではありません。両方とも平和を重視する宗教です。全てのイスラム勢力が過激だということが偏見であるように、イスラム教とキリスト教は原理的に異なるものだという考えも偏見に過ぎません。全ての宗教の本質は同じです。
ビルの崩壊の直後、私はニューヨークと国中あちこちから宗教指導者を集め、犠牲者のために祈り、世話をし、グラウンド・ゼロの最初の第一対応者となるよう呼びかけました。そして、10月中にはニューヨークで平和のための主要な調停会議を招集しました。私たちの会議は、9・11の悲劇のあとにニューヨークで最初に開かれた国際会議でした。
戦争時における、これらの目覚ましい平和への貢献は、何もないところから急に飛び出してきたものではありません。何十年も前から、私は宗教和合の促進に投資してきたのです。
1984年、40名の宗教学者を集めて、キリスト教、イスラム教、仏教、他の主要宗教の聖典の教えを比較してみました。彼らの努力の結晶の結果できた本が、世界経典(聖典の比較選集)で、1991年に出版されました。彼らが発見したことは、宗教の聖典は、70%が、全く同じか、よく似た教えを説いている、ということでした。残りの30%の教えが、それぞれの宗教の個性を表していました。このことは、主要な世界宗教の教えのほとんどがその核心では同じである、ということを意味しています。宗教的な実践においても同じことが言えます。
表面的には、ターバンを巻いたり、念珠を首に巻いたり、十字架を掲げたりしますが、彼らは、宇宙の本質的な真理を求め、神様の願いを理解しようとしている点では同じなのです。
世界経典の編纂は、まちがっていたのは世界の宗教ではなく、信仰の方法だったということを私たちに教えてくれました。間違った信仰は、偏見を生み、偏見が紛争を生むのです。イスラム教徒は、9・11以降、テロリストの烙印を押されてしまいました。しかし、純粋で、仲間を信頼している大多数の信者は、平和を愛する人達です。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教は今日の世界においてお互いに厳しく分かれていますが、共通の根を持っています。彼らを分かれさせている主要な問題は、イエス様に対する理解です。この問題を呼びかけるため、2003年5月19日、私はクリスチャンに、アブラハムを信仰の父にもつ関係において十字架を強調しないよう求めました。そうして十字架を降ろす祭典を行いました。私たちは、クリスチャン文化圏であるアメリカから十字架を持って来て、イスラエルの「血の畑」にそれを埋めました。そこは、イスカリオテのユダがイエス様を裏切って得たお金、銀貨30枚で買ったその場所です。
その年の暮れの12月23日、全ての宗教と世界中から集まった3000人の平和大使と、1万7千人のイスラエル人とパレスチナの人々が、エルサレムの独立公園に集い、象徴的にイエス様の頭から茨の冠を外して、平和の冠にかぶせたのです。彼らは、エルサレムで平和の行進を行いました。地方自治体も私たちの運動を許可し、保護してくれ、パレスチナ人とイスラエル人の家族は彼らの家の前に灯りを灯す事で、私たちの平和の行進を支持してくれました。
アル・アクサ モスクはエルサレムにあり、イスラムでは、メッカ、メディナのモスクに続き、三番目に聖なるモスクです。預言者マホメットがそこから昇天したといわれている場所です。私たちは、様々な宗教が混合されたグループとしては唯一、全ての礼拝堂に歓迎されました。モスクのリーダーは、平和の行進に参加したクリスチャンやユダヤ教のリーダーに、モスクの聖なる場所を見せてくれました。私たちは、固く閉じていた扉を開き、多くのイスラム教のリーダーとクリスチャンやユダヤ教の兄弟姉妹が新しいレベルの意思疎通ができる道を準備することができたのです。
人間は平和を好みますが、一方で闘争も好みます。人間は動物の中で非常におとなしい動物を連れてきて闘わせたりします。オンドリを闘わせ、柔らかい肉片が飛び散るまで、鋭いくちばしでお互いをつつき合わせたりします。そうしながら、振り返って子供には、「友達と喧嘩してはいけません、仲良くしなさい」、と言うのです。
戦争が起こる根本的な理由は、宗教や人種ではありません。それは、人間の心の奥深くに潜んでいるものと関係しています。人々は、軍事紛争の原因を科学や経済のせいにしますが、実際の根本的な問題は人間自身の心の中にあるのです。
宗教の役割は人間を善に導き、闘争に喜びを見いだす悪なる性質を取り除くことにあります。世界の宗教を調べてみて下さい。彼らの理想は、全て平和な世界です。彼らは、天国、ユートピア、楽園に行こうとします。宗教はこの理想にそれぞれ別の名前をつけていますが、それらはみんな同じような世界を追求しているのです。世界には沢山の宗教があります、そして実際のところ、数えきれない教派、宗派に分かれています。しかし、基本的な願いは同じです。彼らはみな、天国と平和な世界を望んでいるのです。人間の心は暴力と憎悪によってズタズタに引き裂かれてきました。愛の王国がそれを癒すのです。
世界平和への最も障害になるのは、人々の心の中にある欲です。それは個人から出発し、国に広がり、欲望にまみれた心は、全てのレベルで分断と闘争を引き起こします。歴史上数えきれない数の人々が、欲望によって引き起こされた闘争で血を流し、命を失ってきました。
そのような闘争を取り除くためには、今日世界的に蔓延しているまちがった価値観や考え方を変える大きな革命を起こさなければなりません。もし人々の考えに革命が起きれば、今日私たちが直面している複雑な問題はすぐに解決されます。もし、個人と国家が、まず他者のために気を配り始め、他者と共に働き始めれば、現代社会の問題は解決されるでしょう。
私は人生を通して平和のために命を捧げてきました。平和に関しては、私は情熱的になります。涙が流れ、声がつまり、食事ものどを通りません。世界が一つになり平和を享受するその日をイメージするだけで、深く感動します。それが平和というものです。異なる考え、異なる人種、異なる言語を話す人達をつなぎ合わせることです。私たちの心はそういう世界を切望しているし、それがきっと実現されるだろうという期待を抱いているのです。
しかし、平和はあいまいな夢を持つではなく、具体的な行動を通して実現されます。しかし、平和運動を起こすことはいつも簡単ではありませんでした。多くの困難があり、多大なお金が必要でした。私はわたしの名誉のためとかお金をかせぐために平和運動をしたことはありません。私たちが、強く真実な平和が根付くような世界をつくれるように、全精力をつぎ込んだのです。この仕事をしている間、わたしは決して孤独ではありませんでした。なぜなら、平和は世界中の全ての人が望んでいることだからです。不思議な事ですが、全ての人が望んでいるにも関わらず、平和はまだ実現されていないのです。
それぞれの宗教が自分の宗教こそが、最高だと考え、他宗教を拒絶したり、見下しています。他宗教や他教派に対して壁をつくることは正しくありません。
宗教は理想に向かって流れる広い川の様なものです。その川は、平和の広い平野に出るまで、長い距離を流れます。その途中で多くの支流がそれに流れ込みます。支流は本流と合流した時点から支流ではなくなります。その時点から、それらの支流は本流の一部となるのです。このようにして、それらは一つになります。
本流は流れ込むどんな支流も拒まず、全て受け入れます。全ての支流を抱きかかえ、一つの流れを成して海に向かって流れ続けます。世界中の人々は、この単純な真理を理解していません。川を探し求め、それに流れ込む支流は、今日の数多くの宗教や教派です。それぞれの支流は、その出発はそれぞれの源泉でしょうが、それらはみな同じ方向に向かっています。それらは、平和に満ちた理想世界を求めているのです。
宗教間の壁をまず壊さなければ、この地に平和は決してやってきません。何千年もの間、宗教は特別な民族集団と連携して成長してきましたし、高い文化の壁で覆われていました。これらを壊すことは、非常に難しい仕事です。何千年もの間、それぞれの宗教は、自分たちこそが唯一正しい宗教だと主張しながら、高い壁で自分自身を覆ってきました。宗教が、神様の意志とは関係のないことに神様の名を使って、その影響力を拡大し、紛争を起こしたり、他の宗教と闘ったりしてきたこともあります。
神様の意志は平和にあります。国や人種、宗教の違いによって細分化され、人々がお互いに闘い、血を流し合う、そのような世界は神様の願いではありません。私たちが神様の名を掲げて、血を流し、互いに争うとき、私たちは神様の心を傷つけているのです。人々が自分たちの豊かさや栄光を追求したいという欲求によって、ずたずたに引き裂かれた世界がつくられてきました。それは、神の意志ではありません。神ははっきりと私にそうおっしゃいました。私は神のみ言を受け、地上で実践する唯一の神の使者です。
世界には200近くの国があります。全ての国が平和を享受するには、宗教の力が絶対的に必要です。宗教の力は、そこから溢れでる愛にあります。私は、愛を伝える宗教者なので、世界平和のために働くことは当然です。世界に平和をもたらすという使命において、イスラム教とキリスト教に違いはありません。
アメリカにおいて、私は教派を越えた何千人もの聖職者と共に平和運動を指導しています。この運動を通して、私たちは全ての信仰者—クリスチャン、ムスリム、ユダヤ教徒、仏教徒が、共に集まる事ができる方法を議論しました。私たちは人々の頑なな心を変えるために全精力を注いでいます。
私の目的は、昨日も今日も同じです。神様を中心とした一つの世界、国境のない一つの国のようにまとめられた世界を創ることです。全ての人類は愛の文化を分かち合いながら、この世界の市民になるのです。そのような世界では、分裂や紛争の可能性がないでしょう。その時初めて、本当に平和な世界が始まるでしょう。
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以上、父のみ言でした。
私の父は、世界の宗教和合のために膨大なエネルギーと資金を投入してきました。父は、全ての宗教人が神様の本質の理解を深められるように、辛抱強く働きかけてきました。彼は、主要宗教の伝統を分断している壁は、これらの伝統の中にいる人々が神様の真の愛を相続した時にはじめて崩れると信じています。それが起きた時、宗教人は和合して一つになり、世界平和への道へ導くことができるのです。
多くの人々は、ソウルの真ん中にある統一教本部教会を訪れた時、預言者マホメット、イエス、仏陀、孔子を私たちが四大聖人として敬愛する特別な部屋があることに驚きます。統一教は、韓国の主流仏教とも友好関係を保っています。
全ての国においてまだ闘争があります。この闘争の基本的な原因は、人々の心にあります。その原因を取り除くことが宗教の責任ですが、宗教人が神様の真の愛を相続し、お互いに和合できなければ、それを成すことができません。
マレーシアは宗教和合のための世界のモデルを示しています。私は、あなた方のさらなる発展を楽しみにしています。
マレーシアとあなた方の家族に神様の溢れんばかりの祝福がありますように。
ありがとうございました。
こちらの文章はKook Jin Moon Address to Members of Malaysia Parliamentに掲載されているものを翻訳しました。
こちらの画像はマレ-シア、何があった?・真の御父母様の切手‐世界基督教統一神霊協会(統一教会)防府教会に掲載されている画像を転載しました。
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