狭い家の中でも捜し合われた父母様

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「韓鶴子女子み言アーカイブ」というAmebaブログにupされていた内容をご紹介します。

ご覧ください。

       

狭い家の中でも捜し合われた父母様(文鮮明先生、韓鶴子女史ご夫妻)

夫と私は1980年に渡韓し、真の父母様(文鮮明先生、韓鶴子女史ご夫妻)の公邸で生活させていただきました。父母様は、狭い家の中でも「オンマは?」「アボヂは?」とお互いに捜し合っていらっしゃいました。“喧嘩をしない”という次元ではなく、いつも一心一体でいらっしゃったのです。

真のお母様は、家の中でも決して大きな声は出されず、低く落ち着いた声でゆっくりと話されます。あるとき、お母様がお出掛けの間に、真のお父様が京畿道利川に行かれたことがありました。戻られたお母様が私に「アボヂは?」とお聞きになったので、「利川に行かれました」とお答えすると、日頃静かなお母様がばたばたとスリッパの音をさせて2階に上がられたのです。

しばらくして下りてこられたお母様は、「이사람!(この人は!)」と言われて、私のおしりをぽんと叩たたかれました。私は「이천(イーチョン=利川)」と言ったつもりだったのですが、お母様には「이층(イーチュン=2階)」と聞こえたのです。

そのときお母様は私を、「韓国に来て何カ月経たったの? まだ利川と二階の発音もできないの」とお叱しかりになりながらも、おもしろそうに「2階に上がってみなさい」とおっしゃいました。

不思議に思って上がってみると、夫が大の字でいびきをかいて寝ていたのです。当時、父母様が帰国されると、私たち夫婦の部屋はスタッフの部屋になり、夫は先輩の先生方と一緒に2階で休んでいました。その先生方がお父様と一緒にお出掛けになったので、1人になった夫は久しぶりにゆっくりと寝てしまったのです。その姿をお母様に見られてしまったのでした。お母様はいたずらっぽく笑いながら、「見た? 私も見たわよ」とおっしゃいました。

お母様は、権威があって近寄り難く感じる一面もお持ちですが、ユーモアを解されるお方です。ジョークを言って、皆を笑わせてくださることもあるのです。

       

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