初めて本人と面会-アメリカの牢獄にいる見知らぬ囚人から届いた手紙(続編)

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2013年8月4日の記事で、アメリカ・テネシー州ナッシュビル在住の日本人宣教師、Y.S.さんのメッセージと、牢獄(刑務所)にいる見知らぬ囚人から手紙が届いたエピソードが紹介されました。9月に入って、手紙のやり取りを始めてから8カ月後、Y.S.さんが本人と面会してきた体験記が寄せられましたので、少し時間が経ちましたが紹介します。

(前回の記事)●アメリカの牢獄にいる見知らぬ囚人から届いた手紙

見知らぬ囚人が描いた文鮮明師の似顔絵
▲見知らぬ囚人が描いた文鮮明師の似顔絵

(経緯)
Y.S.さんのもとに、ある日、地方の牢獄から見知らぬ囚人から、文師のことを知りたいから本を送ってくれという手紙が届き、文通が始まる。Y.S.さんは『平和を愛する世界人として』(文鮮明自叙伝)と英語版原理講論などを送ってあげる。会ったこともないその牢獄の囚人は、自ら進んで自叙伝を読み、原理講論を読んで、文師を再臨のメシアとして受け入れ、やがて自叙伝や原理講論を訓読するうち、他の囚人たちも囲むようになり、休憩時間に原理講論の勉強会と祈祷会が始まった。

以下は、Y.S.さんが刑務所を訪問し、初めて本人と面会してきた体験記、そして刑務所訪問から帰ってきた後に本人から届いた手紙の内容を紹介した手記と続きます。

         ☆           ☆

<9月3日記-刑務所を訪問>

知り合って8カ月後に初めて面会、彼は原理講論を17回も通読していた

刑務所のある小さな町の入り口にて
▲刑務所のある小さな町の入り口にて

 おかげさまで、今朝(9月2日)9時半過ぎに、刑務所に到着し、受付を済ませ、本人と面会をすることができました。一緒に連れて行った妻と娘たち3人は、(予想通り)保安官に面会を拒否されました。私が、刑務所内で彼と面会をする間、駐車場の車の中で、ずっと祈ってくれていました。本当にありがたいことです。

 刑務所内に入ると、まず身分証明書のコピーを取られて、コンピュータなどがおいてある、受付からよく見える、ガラス張りの事務室のようなところに連れて行かれました。映画で出てくるような電話付きの壁で隔離された部屋をイメージしていたのですが、私が統一教会の牧師だと伝えてあったからなのか、実際は違っていました。

 しばらくその部屋で、彼のために祈っていると、突然、ノックが聞こえ、そこに白い薄汚れた囚人服を来た男性が看守に付き添われて立っていました。白人の小柄ながら、気の良さそうな中年の男性でした。ニコニコしながらお互いに、自己紹介をしました。年齢は、わたしより一回り下でした。「まさか、はるばる会いに来てくれるとは思わなかった」と驚きながらも、何のためらいもなく、東洋人の牧師である私に、いろいろと話してくれました。

 私が今まであえて聞かなかった、刑務所に入った経緯、家族のこと、これからのこと、最近見た悪夢のこと、いつか祝福を受けたいことなど、ざっくばらんに話してくれました。また、「(刑期が終了する)今年の年末に牢屋から出たら、ナッシュビルの隣町に住む彼の友人の所に住まわせてもらい、仕事をしながら(その友人が彼のために仕事を探してくれているそうです)、聖日礼拝参加するため、ナッシュビルの教会に毎週、通うつもりだ」と言っていました。

 そして、私が最も驚いたのは、原理講論を何回通読したかと、尋ねた時に、彼は、「もう17回は読んだ」というのです。最初は、赤色だけだったのですが、それにしても、たった半年で17回。牢屋の中で、どれだけ時間があるのかわかりませんが、そこまで必死に求めれば、ご父母様が夢に何度も現れるはずだ、と納得しました。私は、彼のひたむきさに感動すると同時に、自分の精進の不足さを痛感しました。

 また、「真のお母様は、今、どこにいらっしゃるのか」と聞いて来ましたので、韓国にいらっしゃること、真のお父様の聖和一周年の追悼式典のことを伝えました。すると、彼は、「(以前に私が送ってあげた)UCマガジンに掲載されていた写真を机に大事にしまってあって、いつかは、ぜひ、清平に行ってみたい」と言っていました。

 あっという間に予定時間の30分が経過し、最後に彼の手を握りながら、祈祷を捧げ、ハグをして、彼と別れました。

 知り合って8ヶ月目にして、ようやく実現した初めての面会でした。本当に、感無量でした。初めてと言うより、懐かしい再会という感じでした。その後、再び、車を運転して、ナッシュビルに無事、帰って来ました。早速、彼に、手紙を書いて投函しました。あと4ヶ月間、また、引き続き、文書伝道をがんばりたい、と思います。祈祷と関心を持ってくださった方々に、心から感謝申しあげます。

 

<9月11日記-刑務所を訪れて帰ってきてからその後>

面会後に送られてきた牢獄からの手紙

ナッシュビルで殉教した小幡憲昌さんの記念碑
▲ナッシュビルで殉教した小幡憲昌さんの記念碑

 私が刑務所に彼を訪問して帰ってきてから、2通の手紙が来ました。要約すると、私が訪ねて来てくれて、その日は終始、喜びと愛で満たされ、笑顔が絶えなかったそうです。何度も、感謝していました。部屋に戻ってから、早速、他の囚人と祈祷会を持ち、私が無事にナッシュビルに到着できるように祈ってくれたそうです。ナッシュビルの統一教会員になる日を心待ちにしてくれています。このような純粋な兄弟を与えてくださった天の父母様と天地人・真のご父母様、そして、間違いなく、霊界から協助してくれているサージ、リンダ、ニーナ、(いずれも2000年以降にテネシーで聖和した兄弟姉妹)と、ここナッシュビルで殉教した小幡憲昌兄(注※)に心から感謝します。

 また、私が訪問した日は、復活論を全部勉強した後に祈り、瞑想していたら、朴正華(パク・チョンファ)という人物が、自分が犯した過ちを申し訳なく思っていることを、真のお父様に伝えてほしい、と伝えてきたそうです。(※彼は、少々、霊的に敏感な兄弟のようです。今までも、彼が知るはずもない、統一教会の先輩の方々の名前が、彼からの手紙の中に、何回か出て来ました。)

 彼の手紙を通して、いくつも悟らされることがあります。例えば、朴正華氏の件では、2000年前のイスカリオテのユダのことを思い出しました。つまり、イエス様から愛され信頼を受けていた弟子からの裏切り、6000年前には神様から最も信頼を得ていた天使長ルーシェルの裏切り。神様も、イエス様も、真のご父母様も同じ心情を通過なさったんだなあ、と思うと、苦しくなります。また、自分が祝福家庭として、ユダやルーシェル、朴氏のように、ご父母様からの愛と信頼をいただきながら、同じように裏切り続けて、神様とご父母様の心情を蹂躙してきた自分を考えさせられます。決して、他人事ではないと。

 全く、別件ですが、彼との手紙のやり取りに、決して欠かすことのできない、私の基台になってくれている4人の姉妹がいます。妻と3人の娘たちです。彼女たちは、いつも、彼からの手紙の来ることを楽しみにしていますから、手紙が来たら、必ず、夕食前に皆の前で、朗読します。そして、食前には、必ず、彼のことを祈ってくれます。また、私が、英文で彼に返信するときも、私の英語のチェックをしてくれるのは、私の娘たちです。彼女たちの陰ひなたにわたる協力がなければ、彼との交信は成り立ちません。実際、今日も、私は出張のため、家にいません。中2の娘が、彼の手紙をタイプしてくれて、私にE-mailで送ってくれます。それを見て、私がグーグルドキュメントで英文でタイプしたものを、大学の寮にいる長女が校正し、それを再度、私が直筆で手紙を書き、明くる朝、滞在先から投函します。このような連携プレーができる家族がいることを、本当に心から感謝します。

Y.S. & M.S.(6500双)
テネシー州ナッシュビル在住

(※注)ナッシュビルは、1986年、日本から渡米して伝道活動していた小幡憲昌兄が、公園で訓読しているときに、銃で撃たれ昇華、殉教した地でもあります。

コメント

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