文鮮明師の聖和(逝去)1 周年追慕事業として選ばれた最優秀文章作品

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世界基督教統一神霊協会では、文鮮明師の聖和(逝去)1 周年追慕事業の一環として、文師ご夫妻との出会いを中心とした証し文、エッセイなどの文章作品を募集していましたが、2013年9月5日、入賞作品が発表されました。入賞作品一覧はこちら。そのうち、最優秀作品に選ばれた新宿教会所属のJ.Yさん(19才)の作品を紹介します。

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 お父様の聖和から、1年が経ちました。1年前、私は受験の真最中でした。お父様の聖和を母から聞いたとき、恐ろしいほどの虚無感に包まれてしまいました。しかし、これは天の願いではないと思い、気持ちを改めるべく、志望大学に足を運び、祈祷をしました。ああ、この大学に行きたい、この大学でないとだめだという気持ちがどんどん溢れてきました。それもそのはず、私の志望大学はお父様が通われた早稲田大学であったのです。

早稲田高等工学校時代の文先生と高田総長像前で学友と撮影した卒業写真
▲早稲田高等工学校時代の文先生と高田総長像前で学友と撮影した卒業写真

 聖地巡礼のハンドブックに載っているお父様の卒業写真を眺めながら、「本当にここにお父様がおられたんだ。ここで青春時代をすごされ、全人類救済のため何をしなければならないか、祖国韓国のために何をすべきか、苦悶されたに違いない」。思いはどんどん溢れました。あの時、お父様は確かに私の隣におられました。「絶対に合格しなさい、そして私の代わりに地上での摂理を全うしなさい」。そう言われたかのようでした。

 「早稲田から世界を変えようか」というお父様のみ言をかみしめ、その一員になる決意をしました。そして、合格発表。結果は合格。晴れてお父様の校友となったのです。両親より先に、神様と真の父母様に報告をしました。お写真に写ったお父様はニコっと笑いかけていました。

1941年当時の地図-高田馬場駅から戸塚町、早稲田大学界隈
▲1941年当時の地図-高田馬場駅から戸塚町、早稲田大学界隈

 あれから5ヶ月が経ちました。日本で最初に礼拝が行われた場所を横目に、お父様の下宿先に向かう道を通り、お父様が学ばれていた大学に通う。毎日、聖地巡礼をしています。お父様が隣にいらっしゃるのを時々感じます。しかし、それは聖和されたときのお父様ではなく、まさに早稲田大学に通われたときの若く、また歩くのが速いお父様です。天に召され、もう会えないのだと思っていました。しかし神様は、私にチャンスをくださったのです。これから大学生活はまだまだ続きます。私は、これからもお父様と一緒に歩みます。アボニム、サランハムニダ。

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