ここでしばらく新しい貨幣システムを考えるにあたり、私たちが持っている内面の矛盾性を解決するために必要となる真理(だれも否定することのできない、普遍的で妥当性のある法則や事実)というものについて考察してみましょう。
人類文明の発展史をみましても、その時代が大きく変わろうとするときは必ず最初に新しい真理を持った思想家が現れます。そしてその思想家のまわりに新しい真理を実践する人々がだんだん集まってきて大きな波になり、真理に裏打ちされた新たなる社会規範ができ年月が進んで文化となり、その文化が周辺の文化を吸収しながらやがてそれはまた新たな文明へと発展してきました。
政治も経済も社会も行き詰まりをみせ地球環境までもが危うくなってきた今現在は何を意味しているのでしょうか。それは物質中心文明、あるいは資本主義文明といわれてきた一つの文明が終わろうとしている時なのです。
そのことはまた同時に新しい真理が登場する時でもあるのです。
新しい真理によって現在の無知を克服し新しい時代を謳歌することの出来る新しい知に至る時代が今、開かれようとしていると言えるのです。
文化文明の発展史から見れば、例えば明治維新の時 水戸学の藤田東湖とか吉田松陰という思想家が現れて新しい真理を語ります、次にその真理をコーディネートするような大久保利通とか坂本龍馬が出てくる、そのようにして出きた新体制を維持していく山県有朋とか伊藤博文のような体制派と呼ばれる人たちが、出来上がった新しい文化社会を継続改変しながら長らく納めていくようになります。
もっと大きな世界的文明史というものを見れば、まず偉人というよりも後に聖人と言われるほどの人がでてきて新しい真理を語ります。 この新しい真理というのはそれまでにはなかったモノの考えかたである思想とか理論というものを物語や例え話にして語られます。四大聖人といわれているお釈迦様、孔子、マホメット、イエスキリストという人達です。
そして弟子と呼ばれる人たちが集まってきてその真理をより分かりやすくのべ伝えてゆき、やがて仏教文明、儒教文明、イスラム教文明、キリスト教文明へと発展していきました。
この現象は丁度、それまで暗いろうそくの光の中にあった人々が新しい真理という電球のような明るい光りに照らされて、見渡せる範囲が飛躍的に広がって心霊が高まり社会や科学が発展していくという現象として歴史に刻まれています。
この新しい真理は、政治や宗教の面から見れば思想といい、物理や科学の面から見れば理論と言います。
ニュートン力学に対してアインシュタインの一般相対性理論は新しい真理であったし、中国におけるお告げ占いの宗教に対して孔子の唱えた儒教(思想)は新しい真理だったのです。特に宗教において新しい真理が現れるとそれは文明へと発展し人々の生活の中に語られた真理が完全に溶け込むようになります。君主に対する忠や長幼の序であるとか親に対する孝養とか妻の夫に対する貞節また夫の家長としての責任というように社会規範としてその文明に属している人たちの共通した、いわゆる常識になるのです。
新しい真理が登場したからと言って、それまで私たちが持っていた思想や科学的理論がすべて否定されるということではありません、例えば算数を習い始めた頃を思い出してください。足し算引き算をやっと覚えた頃に、8を5回足したらいくらになりますかという問題を解こうとすれば、まず8+8=16、16+8=24、24+8=32、32+8=40、答え40。
というように一回ずつ計算するしかありません。しかし掛け算という計算方法を新たに覚えれば8×5=40というように瞬時に答えることができます。
この時の掛け算が新しい真理なのです。
このように新しい真理はそれまでの足し算という考え方を否定するものではなく、実際は足し算を補完してくれているのです。そして、それまでの思考の限界を超え、より論理的で不遍的な思考を助けてくれるとても便利なものなのです。
現在の貨幣システムを作り上げている究極的な原因は、結局は自分さえ自分達さえ良ければいいという人間の見えざる心が造り上げたシステムです。 そして今、そのような利己中心文明もいよいよ終焉に近づき、次なる文明がやってこようとしているのを見ても、現在の貨幣システムもやはり次なる貨幣システムへと移行せざるを得ない時期に来ていると見ることが出来るのです。
新しい真理については次の章で詳しく話すことにします。
それで現在私たちが使っている貨幣システム意外に、もっと人間にも地球にも優しい貨幣システムがあるということさえ分かれば、たとえ現在の世界経済が破綻するとしても、それが即世界の終焉だとはならないということが分かるのです。
しかし多くの人は次なる貨幣システムが分からないので、経済的破綻がすなわちこの世界の終わりだと思っていて、マスコミもそのように煽っているのです。
本当にマスコミの人達は、貨幣システムの矛盾に誰も気がついていないのでしょうか、1999年NHK特集で作られた「エンデの遺言」は、この矛盾について実に分かりやすく語られた番組でした。
という事はマスコミの中にも分かっている人はかなりの人数いることが分かります、しかし、政治でも外交・安保でも、あれだけ激しい批判精神を持って不正を正して見せるマスコミからは、ことお金の矛盾については批判がましいことは何も伝わってこないということはどういう事でしょうか。
それどころか、現在の貨幣システムを解説する話しか聞かれません、まるでこのシステムを養護し守っているとしか思えないのです。
また、お金をドンドン刷って銀行への借金を全部返せばいいじゃないかと思う人もいるでしょう、今の法律ではそれはできません。
お金は銀行が一元的に扱っており刷ったお金もローンの契約を結ばないと誰の手にも渡らないことになっているのです。
銀行を通さないお金(銀行券)は、法律上偽札ということにでもなってしまいます。よしんば新たな法律を作り100兆円札を何枚か刷ってすべての借金を返したとしても、ハイパーインフレになるか金融市場が機能停止になるかどちらにしても私たちの生活自体が大混乱に陥ってしまうだけです。
ですから世界中の負債を全部返済しようと思えば、負債のある人はもちろん、企業も国家も破産するしかありません、そうなれば、世界中のありとあらゆる担保はすべて銀行のものになってしまいます。
なんというマトリックスでしょう、地球は銀行のものだったなんて。しかしこれが現実なのです。
という話は別として、このような貨幣システムを持った銀行は一体どこまで成長するのでしょうか。
それは第一章の利息と信用創造でみましたように、「新たなローンを組むことができなくなる時まで」 ということになります。それは銀行システムがこの地球を完全に飲み込んでしまうまで、つまり資源やエネルギー、技術、購買意欲等を持っている国や地域、人々にあまねく行き渡る時まで拡大した時、ということです。
その時が信用創造によって膨らんだ風船の最大位置だからです。そこまで膨らめば自らの信用創造の欠陥である 「市場が蔓延して返済が滞りだすと急速にしぼみだす」という欠陥によって自ら崩壊してしまいます。
巨大な貸出金があるということは、巨大な預り金があるということで、その預り金に支払う利息があるからです。
もって莫大な返済猶予や返済免除(債務者破産)はしぼみゆく銀行の利益を直撃するようになります。
それにここに来てアメリカでは国家が発行する返済不能な国債を一般市場ではもう処理しきれなくなりこの中央銀行が買わざるを得なくなってきました、これは新聞にも最後の禁じ手であると書かれていますがその理由は中央銀行は国家の経営者で国はその商店です、不況で全く売れなくなった自分とこの商品を経営者が一生懸命に買う羽目になったということで、破綻の兆しが始まったということです。
まだあります、巨大だった彼らの利権も代を重ねるごとに一族が増え子孫への利権の分け前が減り、代わりに競争やストレスが増えたこと、女性の地位の向上も英雄色を好むを許さない時代になったこともあります。
2009年1月に死去した英国五代目ロスチャイルド家当主エドマンド・ロスチャイルド氏93歳は、99年来日の時「今世紀後半、ひとつの呪いが世界を覆っている。自分が他人より金持ちにならなければならないという妄想です」と言ったことを見てもこの世はもちろん、彼らの世界もまた厳しくなっていると見ることができます。
実際にはその数歩手前で超大口(国家や巨大金融機関)の財政破綻による信用不安が起こり世界的な銀行の取り付け騒ぎ、あるいは釣鐘型グラフのようにある日突然需要と供給のバランスが崩壊して機能停止に陥るとかということになりそうです。当然その釣鐘の切り口は一様ではなくかなりギザギザしたものです。
しかし、地球規模のとてつもなく巨大な力を持った国際金融資本はそう簡単に倒れるとは考えられません。
国家破綻についてはかつて日本も第二次世界大戦のあと経済破綻しました。そのときはお金の価値を数百分の1にし、新円に切り替えることによって新しく出発し直しました。 100万円が数千円になったのですからこのときそれまで使っていたお金は紙くず同然になりました。
しかし金融システム自体を変えなければいくらリセットしたとしても結局は同じことの繰り返しになります。
古い貨幣システムが幅をきかせてきた時代と、新しい貨幣システムが必要とされる現在とを比較してみましょう。
古い貨幣システムの時代は、高利貸し達が持った自己中心性、自分さえ良ければ人はどうなってもいいのだとか、富や人間をもっと支配したい、といった人間の生の利己心が作り上げたシステムだったと言いました。
それらが産業革命の時流に乗りました、産業革命の時は新しい商品だとか技術だとかインフラにしてもとにかくできるだけ最初の方にその利権を持った者が莫大な富を築けたので人間の生な欲心がぶつかり合う時代だったと言えます。
しかし悪いことばかりではなく、逆に時代が進むに連れ人間は学習したことも事実です。
そして歴史の教訓を生かし、新しい希望的な未来に向かって社会変革を繰り返しながら産業を発展させるというニューウエーブも興こしてきました。
近年そのようにして創られてきた産業の芽は段々大きく成長して行き、とりわけ先進国では公害問題を克服し、省エネや環境の保護、ゴミの分別に見る資源の再生循環型社会の構築、コンピューター社会の出現、養殖産業、またエコカーといわれる電気自動車やハイブリッド自動車も販売されてきました、クリーンエネルギーである核融合も実用段階一歩手前というように人類にとって極めて安楽な生活環境が整いつつあります。
またスピリチュアルブームにも見えるように、人間の精神は高利貸しが幅をきかせていた時代からから見れば格段に高まっています。
動物愛護、災害時には沢山の支援金が集まるというようなボランティア精神の高揚のように人や社会の役に立ちたいと思う人が7,80%にも達してきているのを見てもこの新しい貨幣システムが今や社会が必要とし受け入れられる素地ができつつあると見ることができるのです。
それにしてもこんな重要なことを、どうして学校で教えることもなくマスコミも口を閉ざしているのでしょうか。
「隠されているもので表に出てこないものはない」と言いますが、世の終わりが近づくことによって ようやくすべての真実が現れるようになったのです。
第三部 近未来の展望と聖書
1 近代貨幣システムの発祥
この近代貨幣(金融)システムの発祥はヨーロッパで、その中心はシティと呼ばれているロンドンです。
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