第四十一回「真の万物の日」の御言

 

統一教会公式説教ブログに、2003年5月31日(陰暦5月1日)真の万物の日に米国での記念行事で語られた御言葉をまとめたものを掲載していました。

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統一教会 創始者 文鮮明 「ファミリー」2003年7月号掲載


天一国三(二〇〇三)年五月三十一日(陰暦五月一日)
米国・ワシントンDC近郊 シェラトン・ナショナルホテル

 去る五月三十一日、第四十一回「真の万物の日」の敬礼式と記念礼拝を兼ねた記念行事が、米国・ワシントンDC近郊のシェラトン・ナショナルホテルで、午前七時から行われました。

この日の記念行事には、約五百人の参加者が詰めかけ、郭錠煥先生による第一回「(真の)万物の日」のみ言の訓読の後、真のお父様が約一時間にわたって、み言を語られました。

真の愛の主人が収穫の主人

 今日の世界の複雑な問題は、ある一時に、収穫期がなければなりません。また、世界に広がっているさまざまな善なるものも、すべて収穫期がなければなりません。

それでは、善と悪を一緒に収穫することができるでしょうか? できません。悪は、収穫することができません。善のみを収穫することができるのです。

 天の善であられるご主人が創られた基盤の上で育っているすべての万物は、善なる主人のものです。ですから、善なる主人だけが収穫できるということは理論的です。異見がありません。

 その中で、善ではない、いかなるものが主張したとしても、それはすべて流れていき、収穫する資格がないのです。

このように考えるとき、救援摂理が善を成し遂げることができなかったということを知らなければなりません。善を成し遂げることができなかったのです。何が成し遂げられたのかというと、悪が成し遂げられたのです。その悪なる根源の根本は、何でしょうか?

 皆さん。それは、「善悪の果」という木の実ではありません。神様は、神様が私たちの体の中をごらんになるときに、最も貴いもの、私たちの生涯において手放すことができない、永遠に最も貴いものを中心として植えられました。ですから、その実も、神様が愛され、神様が喜ばれる基盤においてのみ、収めることができるのです。このように考えます。

つづきは統一教会公式説教ブログをご覧下さい。

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