ウオールストリートジャーナル(日本語版)2013/9/8より
![[image]](https://si.wsj.net/public/resources/images/OB-YV028_01toky_G_20130907163910.jpg)
アルゼンチン・ブエノスアイレスで7日開かれた国際オリンピック委員会(IOC)総会は、2020年の第32回夏季オリンピック大会の開催都市に東京を選出した。不確実の時代にあって、安全と治安の良さが決め手となったようだ。
東京はより効率的に五輪を成功させることができると訴えて、ライバル都市のイスタンブールとマドリードに勝った。東京は1964年大会以来56年ぶり2度目の開催となるが、当時は第2次大戦から20年足らずで日本を国際社会に再度印象付ける大会となった。また。2008年の北京大会、2018年の昌平(韓国)冬季大会に加え、今回の東京開催決定でアジアが2020年に向け、五輪ムーブメントの中心になろう。
東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会の水野正人副理事長兼専務理事は「このような不確実な時代にわれわれは確実に五輪を開催できる」と述べた。
IOC総会での1回目の投票で東京は決定に必要な過半数に達しなかったものの42票でトップ。マドリードとイスタンブールがともに26票で並んだ。この2都市で再び投票を行った結果イスタンブールが49票、マドリードが45票となり、マドリードが落選。イスタンブールとの最終投票の結果、東京が60票、イスタンブールの36票を大きくリードして2020年夏季五輪開催地に決まった。
投票後、総会会場からホールに出てきたIOCメンバーらは、IOCがリスクを取ることよりも賢明で安全な選択を行ったと説明した。
IOC評価委員会のクレイグ・リーディー委員長は「確実性は重要なファクターだった」と話した。同委員長は、安倍晋三首相が招致プレゼンテーションで、福島第1原発で続いている問題に対し対策を講じている点を評価。「首相は大きな問題に対処している」と述べた。同委員長は、スペイン経済を巡る懸念がマドリードの五輪招致に影響したと指摘。「経済は大きなファクターだったと思う」と述べた。
総会会場を去る安倍首相は、東京の開催が決まったうれしさを日本国民と分かち合えることは非常に幸せだと述べた。
IOCメンバーによると、投票では、ほぼ安全が確保された地域を選ぶか、世界有数の安全な大都市を選ぶか、シリアと国境を接し中東紛争とあまりに近いところにある国を選ぶかの選択となった。
IOCメンバーのジェームズ・トムキンス氏(オーストラリアの元ボート選手)は「それ(治安問題)についての議論があった」と語る。
イスタンブール五輪招致委員会のハッサン・アラット委員長は投票結果について「これは競争であり、その結果を尊重しなければならない」と述べ、中東地域の政治的混乱がイスタンブール誘致に影響したかについて言及を避けた。
トルコのエルドアン首相もブエノスアイレスで同行記者団に対し、トルコはIOCの決定を尊重すると指摘。その上で「開催地が一度五輪を開催した国になったことが唯一の心残りだ。イスタンブールは、多くの文化と文明を集合させ、アジアと欧州を結ぶような五輪開催都市になるはずだった」と述べた。同首相は将来も五輪誘致活動を続けるという。
東京では8日午前5時過ぎに東京開催決定のニュースが伝わり、都内のパブリックビューイング会場では歓声が沸き起こった。64年東京大会で女子バレーボールが優勝し、日本中を沸かせる舞台となった体育館には約2000人が集まり、IOC総会の投票結果を待った。 東京が圧倒的に有利とみられていたが、一部では今回の東京開催決定はやはり意外だったとの見方もある。同体育館に来ていた32歳のサラリーマンの男性は「福島原発の事故があり、東京は望み薄だと思っていた」と話した。
東京は安全な大会を旗印に誘致活動を展開した。他の国と違い日本国内には目立った、組織的な反対はなく、実際に東京開催を望む声が広がっていた。これは、国内に誘致に懐疑的な見方が広がった2016年大会招致の時とは対照的だった。2009年に実施された五輪招致に関する世論調査では支持率は50%をやや上回る程度だったが、最近の調査では90%を超えていた。
五輪開催を望む声が増えたのは様々な要因が考えられる。2011年の大震災・津波・原発事故の3重苦から日本が復興を目指す決意を固めたことなど背景にある。人気のある新首相の安倍氏が個人的に土壇場まで五輪誘致を支援したが、2009年当時の政府は五輪誘致には口出ししない姿勢を取った。
開催地決定の投票に先立って上映された、日本の最終プレゼンテーション・ビデオ
TOKYO2020 FINAL Presentation FILM
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