まず最初に、世界的な名著を紹介します。
その名著とは、1897年に出版され、その後、世界二十数カ国で翻訳され、
今もなお読み継がれている本です。まさに「100年越しのスーパー・ロングセラー」です。
“ In Tune with the Infinite ”
(日本語訳されたものは、『人生の扉をひらく「万能の鍵」』としてサンマーク出版から出ています)
ラルフ・ウォルドー・トラインの著書で、
あの自動車王ヘンリー・フォードに次のように 言わしめた本です。
「私の成功は、この本のおかげだ」
この本の中で、著者のトラインは次のように語っています。
「人に起こることの原因は、その人の中にある」
「目に見える物質的な世界のものごとの原因は、見えない心の世界にある」
「心の引力が現実を引き寄せる」
「恐れてばかりいれば恐れることが現実になる」
つまり、「私たちの心の状態」つまり「何を思い何を考えているか」が
引力(=原因)となって、 人生の出来事を引き寄せるわけですね。
ネガティブなことばかり考え、恐怖心に囚われて生きていると、恐れることが現実に起きてくる。
「感謝できること」に焦点を合わせ、「ありがたい」という気持ちで生きていると、
ますます「ありがたい」と思える出来事が起きてくる、というわけです。
この法則は、「私たちの人生の現実は、私たちの心の中を映し出す鏡である」
と表現することもできます。(=鏡の法則)
この法則を知ると、豊かな人生を実現する秘訣が明解にわかります。
「与える心で生きていると、結果的に自分がたくさん与えられて、豊かさに恵まれることになる」
ということですね。
“与える心”などという言葉を聞いて、大げさに考えてしまって、
「私のような凡人には、そんな崇高な心はありません」なんて
びびってしまう人もいるのですが、びびる必要はありません(^_^;
“与える心”っていうのは、
“人の幸せに貢献できることを喜ぶ心”のことで、誰もが本来持っている心です。
人の幸せそうな笑顔を見て、自分も嬉しくなることってありますよね。あれです(^_^)
「世の中の役に立ちたい」っていうのも“与える心”ですし、
「家族を喜ばせたい」とか「お客さんの役に立ちたい」っていうのもそうですね。
生活の中で、この“与える気持ち”を存分に味わう機会をたくさん創れば、
豊かさはドンドン増していきます。
そして、志を持ち、わくわくする目標を掲げ、“与える心”で生きていますと、
その心が強力な磁石(=引力)となって、素敵な出来事や出会いを引き寄せます。
必要な時に、最適な協力者、アイデア、情報、資金などがめぐってきますし、
絶妙なタイミングで最適な出会いがあります。
シンクロニシティなんかも起きたりしますね。
シンクロニシティとは、あのユング博士が提唱した概念で、
「単なる偶然性を超えた、何かの意味がある『偶然の一致』」のこと。
私は、『必然の一致』などと呼んだりもしてます。
フランク・ジョセフの著書『シンクロニシティ』の中から、シンクロニシティの例も紹介しますね。
イギリスの作家レベッカ・ウェストは、小説を書いていて、
次のようなシンクロニシティを体験しています。
女の子が庭でハリネズミを見つける場面を書き終えたレベッカ・ウェストは、
「なんて馬鹿げた話なんだろう」と思いながら、その原稿を破って捨てようとしました。
庭でハリネズミを見つけるなどというのは、あまり現実的ではないと思えたのです。
彼女が原稿用紙を破ろうとした瞬間に、庭に出ていたメイドが大声で呼ぶのが聞こえました。
何ごとかと思って窓から顔を出すと、なんと、ハリネズミを見つけたというのです。
ウェストは、不思議なこともあるものだと思い、その原稿をそのまま小説に使うことにしたのです。
そして、その小説『ハリエット・ヒューム』は、彼女の代表作となりました。
この出来事は、ウェストの心の中の何かが引力となって引き寄せた
シンクロニシティ(必然の一致)だと思えます。
もし、ウェストが原稿を破り捨てようとしたその瞬間に、
メイドが庭でハリネズミを見つけなかったら、あるいは、見つけても大声で呼ばなかったら、
代表作『ハリエット・ヒューム』は生まれてないかもしれません。
さて、以上で紹介したような典型的なシンクロニシティの例に限らず、
私たちが人生で遭遇するなにげない出来事や出会いも、
よく考えてみれば、深い意味があることなのかもしれません。
よくよく考えてみてください。
例えば、「もし、あの時、○○さんと出会っていなかったら、
その1年後に○○さんから△△さんを紹介してもらうこともなかったし、
そうなると、△△さんから今の仕事を紹介してもらうこともなかったし、
さらにそうなると、夫(妻、恋人)と出会うこともなかったし・・」
そんなことってありますよね。
必然の出会いについて、作家の宮本 輝(てる)さんが、
『命の器』というエッセイの中で、次のようなことを書いておられます。
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運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。
へんくつな人はへんくつな人と親しんでいく。
心根の清らかな人は心根の清らかな人と、
山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。
実に不思議なことだと思う。
“類は友を呼ぶ”ということわざが含んでいるものより、
もっと奥深い法則が、人と人の出会いをつくりだしているとしか思えない。
どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、あんな人の良さそうな
美しい女が嫁いだのだろうと、首をかしげたくなるような夫婦がいる。
しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、やがて、ああ、なるほどと気づくときがくる。
彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、同じものを有しているのである。
それは性癖であったり、仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。
それは事業家にもいえる。
伸びていく人は、たとえどんなに仲がよくとも、知らず知らずのうちに、
落ちていく人と疎遠になり、いつのまにか、自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。
不思議としか言いようがない。
企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。
最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。
「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。
私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析し、
自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。
「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。
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(『命の器』 宮本 輝 著 より、一部要約)
野口嘉則 公式ブログ『幸せ成功力を高めよう』より
http://cafe.daum.net/chdmbu
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